《そして月までの距離 2万キロ》


らすかるの走行距離36万4400kmというのは、月軌道まで2万kmのポイントです。
こんな日には、何かが起こる? 起こったんです、これが。

 月齢10.08の土曜日、5月29日。
 満月を5日ほど前にして、らすかるのオドメータが364400kmを刻んだ。月までの距離が、残り2万kmにまで迫ったのは、内房の保田漁港付近の入り江である。
 1953年のこの日、エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが、世界初のエベレスト頂上を果たしている。が、その偉業の、まだ足元にも及ばない。
 普段ならば、ここまで来たのかというちょっとした感慨を感じながらも、写真だけを記録してそのポイントを通過していたはずだった。
 でも、その同じ入り江には、考えてもみなかった邂逅が待ち受けていた。

 国道127号線の交通量は少なめ。正午近くだからだろう。浦賀水道を左手に内房を走る。その記録ポイントは、保田か、金谷か、といったところで、少なくともトンネルの中だけは避けてくれという思いがよぎった。クルマを停められる場所があるかどうか、その距離を刻んでから末尾がゼロの間に見つけなくてはならなかった。
 保田漁港の入り江に、小型のボート牽引した車を降ろすためのスロープがあり、道路下の砂浜に何台かのトレーラーを引いたクルマが駐車してあった。
 砂浜にはまだ広い空きスペースがあったので、一度そこを通り過ぎて4400kmを刻ませたらすかるをターンさせ、入り江に降りた。
 白いエスクードハードトップが、そこに居た。現行型で初期型のこのハードトップを、僕が眼にするのは初めてのことだ。しかし僕は、このハードトップをよく知っていた。
リアに連結したトレーラーからは、ボートは降ろされており、オーナーは不在だ。ここから釣り糸を垂らすポイントに出ている人たちは、みな夜明け前から船出している。砂浜にいた人たちは、釣りを終えてそれぞれのボートをトレーラーやルーフキャリアに積み込んでいるところだったのだ。
ややあって、防波堤の向こう側に、これもまた見覚えのあるフラッグが現れ、小型のボートが、入り江に戻ってきた。

 実はこのエスクードは、『ESCLEV』でボートトレーラーのレポートを提供してくださっている、『ヒロチー号のボート釣り』のヒロヒロさんのハードトップだったのである。
 内房から外房の広範囲を釣り場にしているヒロヒロさんとは、メールとwebでのやりとりしかしたことが無く、行動半径の広さを思うと、よくぞこのタイミングで! というコンタクトなのだ。
「ああ! ESCLEVの!」
 ヒロヒロさんは、突然声をおかけしたにもかかわらず、快くボートの装備やエスクードの改良点を見学させてくださった。ダンパーやホイールにちょっとしたおしゃれを施したトレーラーと、それを牽引するための、強固でありながらまったく目立たないヒッチメンバー。ボート引き揚げ用のウインチ、牽引時などにモニター可能な後方視認カメラなど、たくさんの手が加えられている。
 しかしそれらの全てが、2代目エスクードのフォルムに、何一つ影響を及ぼしていない。
「船外機込みのボートもトレーラーも、驚くほど高いというわけではないんですよ。むしろボートに搭載してあるGPSとソナーのユニットの方が、個体としてみれば高くついています」
 そう、見慣れている車体であるせいか、エスクード以上に、ボート(パーフェクター13)の装備に魅入ってしまう。
「今朝は4時頃から船を出して、イカを釣ってました。周りの船は魚ねらいで、ポイントが思うように見つけ出せなくて」
 と、ヒロヒロさんは言うものの、それなりの釣果は出せたそうだ。対するこちらは、まずお目にかかれる機会はないだろうと思っていただけに、釣果で言ったら大漁だ。お礼を伝えることもできた。
 なにより、2万kmまで迫る月軌道への一つの節目で、こんなにすばらしい水先案内人と出逢うことがかなった、その偶然がうれしい一日だった。