そして さよなら ぐらんどびたぁらわいど・かすたむ


 隣町で同じ年月をエスクード乗りとして過ごしているコムロさんとは、たぶん、彼と知り合う以前から、その辺で何度もすれ違ったりしていながら、1900年代最後の春になるまで、お互いの存在を知らなかったのです。
 お互いの最初のエスクードは、確か年式も一緒で1600初期型のハードトップを、これまた同じような仕様(現在のあーまーど仕様)で乗っており、それもお互いに写真でしか知らないという変な間柄。出逢ったときには、それぞれまたも同じ年式のV6に乗り換えていて、僕はハードトップ、彼はノマドにスイッチしていました。
 その頃、めまぐるしい進化の途上にあったこのノマドは、4WD−EX誌(当時)紙面でも、オーナーが自らモデファイするエスクードとして誌上コンテストのトップを飾ったり、同誌主催のエスクードミーティングでも、一際存在感のあるノマドでした。
 後にワイドフェンダー化を果たし、『ぐらんどびたぁらわいど・かすたむ』と命名されていきます。びたぁら、という名前に見られるように、コムロさんはヨーロッパ仕様を基準にしたモデファイを展開してきたのです。


 らすかるのあーまーど装備の一部は、コムロさんがストックしていた、彼の1号車(1600ハードトップ)に取り付けられていた装備を移植したものです。30万キロ直前で壊れてしまったデフの交換にも、コムロさんのびたぁらからはずしてあったオープンデフが組み込まれました。
 現在、一時的なつなぎとして組んであるモンローのアドベンチャーも、やはりびたぁらから移植したパーツだし、ATタイヤ用の純正アルミホイールも同様です。
 こんな感じで、DNA移植率の異様に高い「走るドナー」(失礼)であったびたぁらも、2005年4月3日限りで見納めとなり、最後のパーツ移植を行いました。
 らすかるからはタイヤとトライアルウインを移植して、びたぁらは里子に出され、びたぁらからはショック延長キットを譲り受けました。
 この日は、当時“茨城組”と呼ばれていた4台のエスクード乗りの1人、白いTD51Wヘリーハンセンのたけさんも駆けつけてくれ、3人で長い時間、それぞれのエスクードの今後の動向を語り合いました。4人めのとたにさんは、仕事の都合で参加できなかったものの、電話を入れてくれました。
 
 約6年間、一緒に走ってきたびたぁらと、らすかるが一緒に写っているシーンというのは、意外なほど少なく、最後のチャンスにと、並んでドック入りしている様子をここに残しておきます。


 ところでコムロさんはTD11Wと別れを告げましたが、次に乗るクルマもやはりエスクード。2003年式のグランドエスクードFISリミテッドです。ノマドに取り付けていたグランドビターラのエンブレムと、モモさんは、そのまま新しいGエスクに引き継がれるそうです。