2001年3月20日、そのときはやってきました。
 らすかる、と呼称されているSUZUKIエスクードが、1995年10月の新車登録以来遂に、積算走行
距離20万キロを刻んだのです。
 その日は、彼岸の中日でしたが風もなく穏やかな1日で、起き抜けにいきなり行き先を決めて出発し
ても、さほどの混雑に見舞われることもなく、淡々と記念すべき瞬間へドライブが行われました。
 「どこへいくの?」
 「牛タンを食べに行くのだ」
 「ぎゅうたんー?」
 「今から出かけて何時につくの?」
 「おなかがすいた頃には着くのだ」
 「それってどこにあるの?」
 「牛タンったら、仙台でしょー」
 まあ、しじゅうこんな調子ですから、大洗からフェリーで苫小牧まで、などと言わない限りは、お
おむね驚かない家族です。20万キロまでの残り距離、約320km。自宅から仙台市内まで常磐・磐越・
東北道を経由すると 約305km。かなり短絡的に、杜の都、いいじゃん。というわけで、らすかるは走
るのです。
しかし世の中そんなに甘くないのが、林道・・・じゃなくて、いきあたりばったりの計画性のない
お店さがし。仙台市内の焼肉店や牛タンの店は、たいていのお店が夕方から営業か、お休みでした。
 ナビゲーションで次々検索をかけては目的地に移動するも、この日の仙台市内の焼き肉の店は、こ
れでもかというほどシャッターが降りているのです。
 いかん、このままでは路頭に迷っている間に20万キロになっちゃうぞ、というときにヒットした
のが、焼き肉レストラン『しらかみ』です。
 「残念だが牛タンはあきらめよう。こっそりカルビを食って帰ろうね」
 半ば自虐的にテーブルについて、諸々のメニューを一人前ずつオーダーして、焼き始めたら驚いた
のが“あばれカルビ”。あばら骨についている部分のカルビです。ノーマルなカルビの数倍柔らかく
美味い。これは追加オーダー。みっともなくて書けないほどの件数を「やすみっ」と言われて空腹で
あったことも手伝い、近年ないぞというほど美味い焼き肉をたらふく食って、お店をあとに。
 「おみやげ買って行かなくちゃ」
「仙台ってえと萩の月・・・というのも定石すぎだね」  
 「じゃあ白松のもなかにしたら?」
 と、話がまとまり、『しらかみ』にたどり着く道々で見かけた「白松」の販売店に。あとで気が付
くのですが、つくばーどと相互リンクしていただいている『4WD−DRAFT』のちぃ♪さんは、
実はこの店の前を通る坂道を降りきったあたりに在住されていたのです。いやあ、それこそ通過点で
の距離は300m程度のニアミスをしていました。
 けれども、オドメータは199,994kmにさしかかっています(どこをどう走っていたんだか、地元の方
は詮索しないよーに)。ここは友人宅を訪ねている場合じゃない。いったいどこで刻むのか。
 ひとまず、帰路は国道6号線のみで移動と考えていたので、そっち方面の市内中心部へ向かってい
くのですが、仙台市内の交通量は休日でも多め。いざその瞬間、路肩に寄せられなかったらどうしよ
う・・・などとびびっていると、遂に下一桁の“9”が動き始めたところで、信号停止。
 左側には公園があり「スモーク・オン・ザ・ウォーター」なんてのがバンド演奏で聞こえてくる。
公園ブロックなら、ここを左折して路地に入れば、路肩に止める余地はあるだろうと、信号が変わる
と同時に左折っ。
 「ここから、国道45号線が始まるって」
 「えっ、それって宮城県庁の近く・・・」
 トリップメータがあと200m足りないので、曲がった路地、ではなく国道45号線をさらに最初
の信号で左折すると、やはり目の前に宮城県庁の庁舎がそびえておりました。駐車禁止とはいえ、路
肩も広くクルマを滑り込ませられる。
 「ううむ・・・なんてわかりやすい場所で20万キロ・・・」
 「狙って距離稼ぎに迷ったんじゃないの?」
 「ね、狙ってないねらってない。だいたい仙台市内の地の利がわかんねーもん。さすがに45号線
の基点くらいは知ってるけど・・・」
 というのが、ことの顛末です。
 なんと、ただ昼飯を食うためにだけ、のこのこと320kmを走ってきただけという。これからふたたび
帰路を下道で走るという・・・いやほんとに、途中で相馬の海岸に立ち寄った以外は、ただひたすら
らすかるを走らせるだけの1日。
 ひどい話ですねえ。これで楽しいと言ってくれるのだから、家族は日頃から大事にしないといけませ
んです。
《後日談と、余談》
 めでたく20万キロを刻んだ“らすかる”ことエスクードV6は、その週末に各部オイル関係の総交
換とスタッドレスからATタイヤへの換装、軽メンテナンスのために、かかりつけのJOMOステーシ
ョンで整備を受け、行きつけの自動車整備工場でご褒美のアーシングキット(オフロードサービスタニ
グチ製のキット)を取り付けました。
 「うーん、年式のせいというのが一番なんだけれど、どこから見ても20万キロ突破したクルマには
見えない」
 「去年の秋のオーバーホールも無駄になっていないねえ」
 という評価が得られました。それはそうです。この、エンジンのフルオーバーホールは、スズキの納
品書5枚綴りというとてつもないパーツ数の交換と、それに相応した金額がかかっているのです。どう
せやるならと、シリンダーを研磨し、ピストンもメタルも全て交換したのです。はっきり言って、同じ
年式の同じ型のクルマ(しかもノマド系)が中古で買える、大ばかと言われそうな投資をしてしまって
いるのです。
 しかし、今は発注したパーツがきちんと揃うからまだ良いですが、これが30万キロ(めざしてはい
ます)の頃、さらに走らせられるとしたその将来、いつまで「部品? あるよ」と言ってもらえるかど
うか・・・ぼちぼちそのときの、メーカーやユーザー間での相互支援のことを考えないといけないかな
と、ふと感じました。
 ひとまず山場を乗り切ったらすかるですが、なかなか元気に走っております。