牛筋カレーはうまいです。これはやはり、年内につくばーどin岩間Vをしかけて、あのカレーコンペをやらなくてはならないでしょう。唐揚げは「まだまだだわね」と、嵐田れいんが笑顔で批評(こ、怖い)
 あとはもう屍累々となるまで飲んで歓談というやつ。クルマの話、走行会の話、恋愛談義(えっ?)などが繰り広げられたようですが、眠ったのを覚えていないくらいなので、話題の全容は覚えていません。

 キャンプ場で合流した地元のしゅうさんを加えて赤城の大沼に駆け上がると、同じ色、同じノマドのV6が並んで待ち受けています。前後バンパーをはずしてしまったYONEさんのノマドは、つくばーどギャラリーでも見られるように、ランクル80と互角に渡り合うクロカン仕様ですが、今回はきれいに磨かれたツーリングスペック。akiさんのノマドはギャラリーでは雪遊びしているアレですが、夏タイヤはらすかると同じホイールのため、並んだ後ろ姿は兄弟というか、親子。
「同じ色だけに3台並ぶと面白いけど、らすかるってローダウンしてるみたい」
 akiさんのクルマはコイルで車体が上がっています(ショックはGエスクのものらしい)。しかしYONEさんのクルマはさらにコイルスペーサが・・・
 らすかるだってトライショックとコイルくらい入ってるんだけれど、この2台に並ばれ、最近足回りに手を入れているたけさんのTD51Wに挟まれると、ノーマル車高以下のエスクードになってしまう。
 笑いをとったところで、先を急いで赤城道路を隊列で下り、利根村へ向かいます。空いている道路。むしろ貸し切りのような県道の移動で、偶然にも赤い01ノマドとすれ違う。12台のツーリングは、どんなふうに見えていたのやら・・・
 利根村の根利(ねり)牧場から、林道小中新地線に入ります。牧場手前の倉見沢川沿いに登るルートも片品村へ向かえますが、時間的に余裕がないので、小中新地線から西山小中線へ縦走ルート。途中の大滝分岐までの約10kmがフラットダートですが、この区間の舗装も始まっていて、下見のときから比べて舗装延長が少し伸びていました。
 “超難民キャンプ”は、小中新地線と新地線の分岐で行われていたのです(どこが赤城山なんだ)。当時は新地線がまだ全線つながっていなかったらしく、支線の行き止まりだった。現在はこれが片品村の吹割の滝の近くまで伸びていて、支線も沢山あり、朝から走らないとちょっと縦走は無理。ついでに一応「一般車通行禁止」(一応ね。当日はゲートも開いていた)。
 その記念すべき場所で小休止すると、あとは大滝まで一息で走れてしまう短いダート区間ですが、各車通過の撮影をしてから追いかけると、コーナーの向こうにはもう誰もいない・・・ 袈裟丸山への登山口で追いついたところ、ここだけは連休行楽地。登山客の車輌であふれかえり、12台のエスクードとジムニーを並べて記念写真、というもくろみはあえなく崩れてしまいました。
 草木ダム右岸の喜龍庵という蕎麦屋まで残り区間の舗装林道を下り、蕎麦をすすって流れ解散。うーん、これでいいのかと、悪代官から悪徳商人へ変わり身した幹事は、ひたすら恐縮するわけですが、それでも嵐田、日頃はソロで走っていることの方が多く、これだけ沢山の仲間達とツーリングをできるという機会に恵まれたことは、やはり嬉しいの一言に尽きるのでした。
 ところで、林道の走る袈裟丸山というのは、真言密教の開祖である空海が、第2の高野山を開くために調査に赴いたところなのだそうです。この計画は挫折し、空海は名もない山の頂で、着ていた「袈裟を丸めて」投げつけたとのことで、その伝承が山の名前の由来になっている。
 なーんだ。空海だって企画倒れしてたんだ。そりゃあつくばーどごときがツーリングに来て、宿泊地が遠くなってたり道が舗装化されてたり路肩崩壊で通行止めだったりしても、不思議は無いじゃねーか。と、埋蔵金に始まり密教に終わる冒険のツーリング報告でした。
 ・・・・どこが埋蔵金冒険なんだ・・・