つくばーど黎明期の1人
嵐田風花さん  TD01W

 つくばーどには、前身となる遊びの倶楽部があって、それは1982年に産声を上げている。
 さすがにこの年には在籍していないけれど、嵐田風花さんは80年代後半に倶楽部の一員として名を連ねており、企画で作ったTシャツのデザインを担当したり、会報誌の挿絵やテキストを任されたりの、倶楽部黎明期の1人なのである。
 当時は女子高生であった彼女だが、大学を経て会社勤めをしながら、2台目の車としてエスクードノマドを手に入れた。エスクード乗りとしても古株のうえ、現在に至るまで、つくばーどの後方支援をしてくれている義理堅さがある。
 いや実際、嫁いでいった時点でノマドもいつしか3台目の愛車にスイッチされるだろうと思っていたのだが、彼女を見そめたご亭主がまた、ノマドを気に入ってくれたおかげで、現在がある。最古のスタッフで、現役のエスクード乗りは、こうして維持保存されているのだ。

 「エスクードを買った理由は、雷蔵アニさまに洗脳されたので・・・」
 そもそもどういう関係なのだ? と、バラしてしまうのはいささかもったいないのだが、彼女は高等学校の後輩であり、学部は違うものの、よせばいいのに大学の後輩にもなってしまった。それがもう、運のツキ。縦社会・体育会系なノリの遭うと労働な倶楽部活動に巻き込まれていくのである。

 「友達とスキーに行き始めた頃で、漠然と四駆が欲しいなーと思っていました。当時乗っていた車が10万km越えそうで、買い替えるつもりではいたので。おチビの私が持て余さない程度のサイズは、当時はロッキーかエスクードしかありませんでした」

 92年式で冬季限定車の出た時期、TD01WGOLDWINを購入した彼女は、早速、霞ヶ浦湖畔で怪現象をみせる。
「通勤時間帯に、無人のエスクードが走っているのを見かけた」
という都市伝説を作りかけたことがある。スペアタイヤを背負い、前後座席に大きなヘッドレストを持つノマドは、特定の条件下において、後方からドライバーを目視できないことがある。
 彼女の場合、その特定な条件が重なり、時には「すれ違ったけれど見えなかった」という証言もあった(いいのかこんなこと書いて)。現に、ノマドに乗り始めた頃の第一印象として、

 「こっ小回りがきかないっ」

と、彼女自身が語っている。コンパクトクラスの四駆であったにもかかわらず、さらに特定の条件においては、ノマドもミドルクラス並みなのである。
 しかし、

 「一人でどこへでも行けそうって思いました。実際、自分で運転してあちこち行きましたよ」

 都市伝説は定着することはなく、のまちゃんと名付けられたゴールドウィンは、どこへでも出かけていけるツールとして活躍している。その行動半径はゲレンデエクスプレスには限定されず、華道の稽古、母校の演奏会、お茶をいれるための湧き水汲みと、街から山まで、オールラウンドに走りつなぐ。

 「好きだから! 15年も一緒にいれば、分身みたいな気分です。その割には手荒な扱いをしているような・・・?」

 まあ、ときどき壊れるのも、まだご愛敬のうち。このノマドをご主人が思いやってくれており、
 『そこまで来たら動かなくなるまで面倒見てやる』
 との、頼もしい支えになってくれているという。3匹の“猫ず”たちとともに、のまちゃんも家族の一員となっている。

 「自然体で乗っていきます。個性派揃いのエスクユーザーの皆さんに、肩を並べられるワケはない(汗)。これからも一緒にとことこ進みます」

 あくまで褒め言葉として。
 その15年を越える自然体は、充分にひとつの個性。