久しぶりに高山市に来てみたら、なんと日本一広い市域面積の都市となっていた。2005年に周辺町村が併合されてのことだが、東京都の面積に匹敵するという。しかしその9割は山林。人の住むところは、金森長近の時代からそれほど変わっていない。

 「それで家具づくりとか春慶塗みたいな、木を使った産業が盛んなのね」
 「飛騨は極端な過疎地域だったから、庸と調を免除されるかわりに、大工として人材が徴発された」
 
「飛驒の匠だ」
 
それから明治時代になると、飛騨地方の人々が諏訪の製糸業を支えるために山越えしていった
 「あゝ野麦峠だ」
 「秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のあたりで怪しげな宗教が流行って、人心をかどわかしたり政治を脅かしたりしたことがあり、藤吉郎はその組織的な暗躍の実態を調査させ壊滅させるために、飛騨の里から忍びを呼び寄せたこともある」
 「そ…それは知らない」
 「初めて聞いたー」

 (えー、最後のはわかる人にしかわからない話です)

 江戸時代、金森長近が築いた城下の商家町は、伝統的建造物群保存地区として日本家屋が建ち並び、その黒々とした街並みは小京都の異名を持つにいたった。ミシュランが星3つを与えるほどの評価を得るくらい、観光都市と化していながらも、街並みのたたずまいと大きく乖離しない商業が営まれている。
 が、これもだいぶ様変わりしていて、高山でなくとも買い物できる雑貨屋やアクセサリー店が増えた。

 「でも! ここは昨日の古川とはまた違う雰囲気で素敵だ」

 
「こんなことなら昨日の夕方も歩けばよかった」

 
昨日は鳩谷での昼食後、さっさと宿に入って休息してしまった。宿と保存地区のうち「さんまち」は徒歩圏内だったので、電池切れしていない霙だけを連れて、黄昏時の町も歩いた。霰は明かりのついた、人通りの途絶えた街並みを見ていない。
 しかしさんまちの夕方は、午後4時あたりでほとんどの店が暖簾を片付けてしまう。そぞろ歩きはいいが、お茶も買い物もしにくい。ここはやはり、午前中歩くのがいい。
 夏、黒く防腐処理された木造のの木の連なりには、ところどころでアサガオやリンドウが色を添える。そのコントラストを見せたかった。南フランスはテラコッタの彩が美しいが、日本の街並みだって自慢できることを、娘らは感じ取ってくれただろうか。
 おそらく、このあと立ち寄った白川郷は、合掌造りの一軒の家としては目を見張ったことと思うが、「里」として見た場合の保存形態と観光地化の様子には、がっかりしたに違いない。
 そこはまた、次回ここを訪ねるときに、富山側の五箇山に案内してやればいい。時間の都合で今回は富山を一気に走り抜け、新潟・上越の街に、生まれたばかりの双子と、なりたてのパパとママに会いに行く。