学び舎からの巣立ち
霰 卒業と入学
 長女、霰が、9年間の義務教育を修了した。
 驚いたことに、さぼりの父親、登校拒否歴持ちの母親に似ず、9年間を皆勤で過ごしていた。しかしいつのまにか、妹の霙には身長を追い越されていた。
 この日、東北地方ではちょっと大きめの地震が発生し、卒業式の最中、多くの友人知人から、気遣いのメールをいただいていた。宮城県ではマグニチュード7クラスで、震度4程度だったらしく、事務所からも支障なしとの連絡を受けた。
 それが予兆であったことは、このときには想像できなかったが、この数日後に東北沖巨大地震が発生する。
 霰にとっては、卒業翌日の公立高校入試発表にて「来んでもいい」との結果を見たことの方が激震だったかもしれないが、昔と違って私立校への進学は、別の意味で高いハードルを越えているらしい。さほどのダメージはなかったようだ。
 そして宮城も茨城も被災する。
 つくばーど基地も、ライフラインは寸断され、父親でありながら赴任地が仙台であったために駆けつけることもままならなかった。
kawaさんや青影さん、TA01Wさんが支援物資を基地まで届けてくれた。感謝の言葉もない。
 仙台の部下を1人ずつ1週間休ませ、ようやく自分の番が得られたので、3日間だけ休みをもらって山形・羽田経由で帰宅すると、翌日の入学式に備えて、なんとか制服類の調達が完了していた。
 被災から3週間、大変な時間を過ごしていたはず。そのせいか、いくらか大人びた面構えになっていた。新しく通う校舎も被災し立ち入り禁止となったらしい。それはそれで忘れ得ぬ入学式になるだろう。