小雨で涼む高山の夏
まあ湿度もそこそこ高いけどね

 7年ぶりの高山市はインバウンド効果にあふれていた。観光に訪れている人々に日本人はいないと言い切れるほどの、アジアからの来訪者ばかりだ。
 もっとも金曜日なのだから、休暇を取らなければ単なる平日。外国人が目立って当然なのだが、マナーも情緒もあったものじゃない。
 きっと高度経済成長期の日本人が、海外旅行でかき捨て嘲笑されていたことと同じ恥がそこかしこで繰り広げられている構図なのだろう。
 その来訪者に迎合するかのように、高山の観光資源も変質している。
 飛騨牛の握りずしというのもびっくりだが、それを並んで買い求めるスタンド形式の販売は、当然イートインスペースもあふれかえり路上で立ち食いすわり食い。
 さんまちの通りでそんな風景を見たら、誰だってがっかりするだろう。だが彼らにはそのような気配りはない。
 欧米からの来客の方が、見聞のためにやって来ていることをよく伝え、そしてつつましい。
 おもてなし、などという言葉が少し前に流行ったが、来たいところへは来て、苦労しながら日本を受け止めていくことのほうが正論ではないのか?
 日本人は親切在り方をはき違えている。いけないことはいけないと、正し諭すすことももてなしの姿だろう。

 7年の歳月には、我が家にもいくらかの変化が起きている。
 父親はコーヒーを飲み歩き、娘らは地酒の試飲をたしなむ。
 まあ結果的には何が美味くてどれが至高なのかは判断できなかったというが、前回はソフトクリームや冷凍ミカンを買い求めていた霰も霙もそういう年齢になっている。
 だから前回は外した陣屋の見学も国分寺や八幡宮の参拝も、高山祭の屋台についても、専門知識の分野で連れて歩けば、よく細かな部分を観察するし、御朱印などを記してもらっている。
 前に訪れたときに学んだ知識を何倍にも膨らませて自ら解釈し、対話に交えてくる。
 これは親ばかと言われようとも、鼻が高い。
 同時に、次回は「連れていけ」と言われない限りは、やつらが勝手に出かけて行くことになるのだろう。
 
 台風接近の影響を受けたさんまち通りは朝から小雨が続く。
 だが雨降りの中のそぞろ歩きは、素通りしていた暖簾をくぐり易くする。思っていたよりも沢山の立ち寄りをしながら、1日が過ぎていく。