光の国から往くぞ銀河の果てまでも
彼等44年 娘等10年の足跡
 「ウルトラマンがサブカルチャーとして定着した現代、そのデザインや造形を、美術の次元で語ることのできる時代もまた胎動している」

 北海道の近代美術館に努める学芸課長が提唱し、企画を実現させたと聞く『ウルトラマン/ウルトラセブン アート』の展覧会が、茨城県の近代美術館にもやって来た。
 確かに、これまでにもこの手の展示会がなかったわけではないが、それらはほぼ、ウルトラそのもののアピールを制作側やスポンサー側が販売促進タイアップしたか、円谷英二氏の生誕記念といった性格のものが主流で、公的な美術館が真正面から美術として招致した例は極めて少なかった。
 ウルトラのデザインと言えば、60年代のどこにもなかった宇宙から来たヒーローや怪獣、宇宙人を描いた成田亨氏と、それを着ぐるみや小道具として造形した佐々木明・池谷仙克・高山良策諸氏の仕事の足跡。
 施設の2階フロアすべてを使って、きちんとした企画展として紹介された。
 化学特捜隊本部やウルトラ警備隊のホーク1〜3号発射サイロが大型のジオラマとして披露されたが、この企画展のために作り起こされたものだという。
 よく、ウルトラ警備隊のメカニックはサンダーバードに影響を受けたものと評されるが、カラーリングやマーキング、部隊マークといった、いわゆるコーポレート・アイデンティティーの導入は、サンダーバードのそれよりも徹底され、当時の実在のどんな企業よりもはるかに先取りしていた。
 なによりテレビ放送30分枠のために、毎回異なる怪獣や宇宙人が用意され、これと対峙する地球防衛の統一された存在感とのコントラストがあり、そこに人知を超えたパワーを秘めて現れるウルトラマンたちの銀と赤の躍動感は、息切れの時代を経ても今なお現役で持続している。
 それらはすべて、デザインと造形の秀逸さ、魅力的な脚本があってこそ成立する。原点となった第1期ウルトラシリーズは、間違いなくアートの宝庫だと言うことができる。
 そして、単なる子供番組という世界にサブカルチャーの道を開いてきたのが連綿たるファン層の支えなら、そのファンの中に公立美術館の学芸員がいても不思議はない。
 それがウルトラの45年なのだと思わされる。

 
「小さいときに須賀川に行って、ウルトラセブンと握手したよねえ」
 
「はいはい、わたしゃ『テレスドンノの目!』ができる平成生まれとして教育されましたよ」

 2001年のこと、円谷英二さんの生誕100年という企画展を見に、福島県の須賀川に出かけた折、霰と霙はウルトラとの初体面をしている。父親である僕にとっては、35年ぶりのウルトラセブンとの握手であった。
 スーツアクターや演じた役者のことを棚上げして語るわけだが、その35年という年月を経てなお、ウルトラセブンは在りし日の姿そのままであり、それこそが宇宙から来た超人の未知の力のようにも感じられた日から、さらに10年が過ぎた。
 まさに見たこともない真っ赤な体と銀色のマスクに狼狽していた娘たちは、隊服ならぬ制服姿で、メトロン星人と卓袱台を挟んでいる。
 僕らがあっけにとられ、週明けの教室(いや幼稚園だったか)で「あんなのありかよっ」と笑い話にしながらも、いまだに語り継いでいるあのシーンの再現。しかも、ここはスタジオではなく、公立美術館の企画展示ブースなのだ。
 撮影できないブースの展示物量もさることながら、逆にちょっと閑散としていないでもないが、自由に記念写真を撮ってもいいという演出を計らっている企画展には驚かされる。
 子供番組のスタンスを維持し続け、サブカルチャーとしての魅力を伝え続けるウルトラの世界を、新たに美術の目から見てもらおうとする企画展は、「なかなか」以上の楽しさを与えてくれた。
 ここから始まるものに期待させられる。それは同時に、これ一回ってことはないよね? と思わせるファン心理をくすぐるものでもある。