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2025年7月、撮れるうちに撮っておかなくてはと、我が家のエスクードを総て持ち出し、記録を刻むことにした。しかし使い道はほぼ無い。 |
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過去の記録をウェブに残してはいないが、我が家のエスクード3台体制は二度目で、ヘリーハンセン・リミテッド、ゴールドウィン・リミテッド、Gリミテッド・ノマドの1600時代が最初。ただし、そのときのゴールドウィン・リミテッドは短期リースのものだったので、ここに記録したそろい踏みが事実上の正真正銘となる。 この布陣は今年限りの貴重な機会だ。そして1600コンバーチブルとV6-2500の組み合わせは、最もコンパクトな車体と、初代では最も大きな排気量というところに、エスクードの両極があると持論している。 蛇足になるが1989年以前はジムニー乗りで、SJ30、JA71に乗り継ぎヘリーハンセン・リミテッドのエスクードにスイッチした。その後一時期、JB23も我が家の所有にあったが、ジムニーの複数体制は一度も行われていない。 現在はハスラーJstyleⅡがあるから、スズキの四駆4台という物好きとも言える。そのなかでも初代ばかりのエスクード所有は、間違いなく物好きを通り越している。 2500の二番機となったBLUEらすかるΩは、初代モデル最終型で97年式。BLUEらすかるが96年式で、コンバーチブルのぷらすBLUEは91年式と、いずれも骨董品の域だが、80年代の終盤90年代の終盤まで、これほど愛着以上に執着と言った方がふさわしいクルマにめぐり合うとは思わなかった。 |
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