スズキ歴史館

鈴木式足踏自動織機から100年
もの作りの精神と歩み

 「本年は、個人事業の創業から100年、当社のアルト誕生から30年。そしてスズキのもの作りを紹介する歴史館の一般公開という慶事が重なりました」
 スズキ会長兼社長、鈴木修氏は、強運の持ち主なのだと感じさせられる。未曾有の大不況といわれた前回の世界経済低迷の年にスズキは法人として歩み始め、それ以来再び巡ってきた“未曾有どころではない”世界不況の2009年に、このようなスピーチを切り出せるのだ。
 もちろんスズキ自身、構造不況と無縁ではないし、大幅な車種整理によって、せっかくの新規プロジェクトも水泡に帰すなど、とても安穏としていられる状況ではない。しかし、社内ではどうとらえられているか知るよしもないが、元気を見せる手札を切ることができる。自車初DセグメントのKIZASHIを否定されようとも、アルトの世界販売1000万台をアピールでき「来年はジムニーの番だ」と笑い飛ばせる。一ユーザーとしては、強い親父・・・いや強い会社だと評価する。
 そのスズキの100年を、世相の変遷と共に見ることのできる歴史館は、実は地域の少年少女に、もの作りの精神や技術力を学んでもらおうという社会貢献施設の性格が強い。子供に分かりやすい構成と演出を、あえて繰り出している。だからといって、子供向けなのかというと、そうではない。工場の生産ラインを切り取って再現したり、クレイモデルの左半分を完成車レベルのクオリティで塗装仕上げしていたり、会長曰く、単なる中小企業の“域”をとうに超えた“粋”さがうかがえる。
 スズライト、フロンテ、セルボ、ジムニーと、1台ずつを書き出していたら枚挙にいとまがない。当サイトはエスクード専門。多くのモーターサイクルや代表的な自動車たちは、勇気を持って割愛する。それらは一度、浜松を訪ねて直に見聞していただきたい。 

VITARA2.0 ELTON JOHN Limited ’97

 スズキ歴史館の展示フロアは、1Fの受付を済ませ、見学案内の短い映像を見たあと、3Fに移動する。エレベータでも上がれるが、階段の壁には2008年から1909年までを遡りながら、世相の変化をパネルで見ることができる。天井には綿織物の装飾が施され、100年前の地域産業を思い浮かべることができる。
 階段を上りきると、そこには1909年の「鈴木織機製作所」の時代が待ち受けている。創業者・鈴木道雄氏の生い立ちと、織機開発技術の紹介映像を見ることができる。
 織機改良からオートバイ、自動車への開拓と発展は、それぞれの時代を追いかけながら、その実物を映像資料と共に見聞可能だ。


 エスクードは、1980年代最後のエリアに、慎ましく展示されている。
 銀色の車体に黒い幌、11系の車体でありながら、コンバーチブル。左ハンドルでユーロバンパーをテールに持ち、エンジンは51系の直4−2000ccを搭載した、ヨーロッパ仕様のビターラである。
 エンジンフード先端、左右Bピラー、スペアタイヤカバーに共通のマーキングが施され、このモデルが「エルトンジョン・リミテッド」であることを示す。1997年に、スズキ・ドイツが限定販売したもので、歴史館プロジェクトの一環として、スズキ本社がドイツから買い戻してきた。
 海外販売法人では、いちいち掌握しきれないほどの限定車がリリースされたという。そのなかで、なぜこれほどの手間をかけて買い戻してきたのかは想像の域を出ないが、この個体には、エルトン・ジョン氏本人が、自らサインをして残されている、世界唯一のリミテッドなのだ。ユニセフの事業に参加する同氏に、タイアップ協力したスズキ・ドイツに対しての返礼が、このサインだという。
 97年といえば、彼が元英国王室ダイアナ妃の追悼として「キャンドル・ザ・ウインド’97」を歌った年。その翌年、彼はナイトの称号を受けることになる。このビターラは、偶然にも歴史の一コマを刻みつけた1台なのかもしれない。
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