ノマドは3度目の車検を通った。驚異的な走行記録は、遂に50万キロを突破していたという。
 所有年数はともかく、これだけの距離を走ってもなお、車検を受けるという愛着は、良い意味で普通ではない。
 それでもいつしか、別れの時はやってくる。
 7年8ヶ月後、ノマドは店長のもとで下取りされた。積算走行距離は58万キロという途方もない数字を記録していたという。
 エスクードはその頃、二代目モデルに世代交代していた。

 店長の思い出話が一段落して、ふたつのことが気になった。
 このエピソードを伺うため、店長を訪ねたのは、阪神・淡路大震災からの復旧も軌道に乗った時期であった。店内には7人乗りのグランドエスクードが鎮座し、いよいよこれ以上の搬入は不可能という店構えになっていた。
 店長には新たに、豆から挽いた珈琲を淹れるという趣味が加わっていたが、立てかけられたチェロや酸素ボンベを見るのも、店内が想像以上にモノに溢れているのを知るのも、珈琲とともに初めてのことだ。

 気になったふたつのこととは、当時二十代半ばだったと聞かされた例のふたりのその後のことと、ノマドを乗り換えたきっかけについてだ。
 ノマドは残念ながら、そのあとすぐに海外からの買い手がついて、コロンビアに向けて送り出されたという。ひょっとすると、まだ走っていて、最長不倒距離を伸ばしているかもしれないと、店長は言った。
  ノマドの走行距離は、この店のホームページに、納車からたった7キロで引き取られたワゴンRと対の話題で掲載され、当時のエスクードユーザーの知るところとなっていたが、その個体がどんな履歴を歩んできたのかは語られていなかったし、スチルもなかった。
 まさしく伝説のノマドなのだ。
 せめて聞ける範囲で聞けるだけのエピソードを収録しようという試みは、店長の好意で実現した。この時期、巷に30万キロを越えるエスクードなど1台もいなかった。

 この記録を記している2013年に、ホームページは店もろとも閉店している。
 店長は10年ほど前に販売店を閉鎖し、その親会社であった自動車商会の経営者に収まった。エスクードとの付き合いにも区切りをつけ、若い頃に乗りたくても手が出せなかったと語っていたテンロクのミッドシップスポーツに乗っている。失礼ながら、中小とはいえ企業のトップに出世したというのに、黒塗りの高級車などには目もくれないところが、店長のいいところだ。
 
 かのふたりにしても、乗り換えのきっかけは、他愛もないことだった。
 ふたりが二人して意気投合し、別の車に乗ってみたくなったからだ。
 新しく選ばれた愛車は、それまでの4WDジャンルとは全く別のセダンタイプで、しかもイタリアの車。後に、最も成功したと言われるようになる、起死回生のモデルだったらしい。彼氏は駆動方式にはこだわらず、まるでコクピット然としたシートと計器類に魅せられ、彼女はその車体の妖艶さに惹かれた。
 よくあることではある。それだけに少々残念な幕切れだが、車選びとはそういうものだろう。
 車を走らせる楽しさを知っていく原点に、エスクードを置いてくれたことだけでも嬉しいことだし、なによりちょっとやそっとでは真似のできない走行距離を残してくれたことには、脱帽だ。

 ふたりはその車に乗って、どんなライフスタイルに変わっていったのだろう。
 ノマドが手放された時点で、そのことについてはわざわざ知りたがる必要もないことだったが、個人的には8年弱の歩みとその後は、ちょっとは気になっていた。

 店長は空になったカップに3杯目の珈琲を注ぎながら、そのことについて語り始めた時、なぜかニヤニヤしていたのを、今でも思い出す。
 店長はそして、こう切り出した。

 「それはね・・・」



  
 写真のノマド、街並みはすべてイメージです


《 Back