SCENES
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そんな時代もあったのよ
クラブスタイル黎明期
 今から20年ほど前、普及しつつあったとはいえインターネットを自由に使える人々はそう多くなかった。
 全国的なユーザー間のコミュニケーションは、パソコン通信を介して、フォーラムやメーリングリストで行われたり、クロカン四駆の雑誌の中でも斜に構えて「敢えてエスクードを扱う」編集者の呼びかけだったり、スズキスポーツを取り扱うショップの販売戦略によるクラブ設立だった。

 とにかく情報の発信と受信は、窓口が限られていたのである。それでもこの時期、個人で発信源となるホームページを持つ人が何人か存在し、掲示板やチャットの口コミから、外で集まる機会が増えていった。
 オフラインミーティングの黎明期だ。
 するとだいたい、集まってくる顔ぶれは一緒。エスクードという同心円状のコミュニティだからそれは当たり前。
 何をするかは手を挙げた人の得意分野で、ツーリングもあれば河川敷でのオフローディングもあり、出かけた先では走る人は走り、そこまで踏み込めない人のためにも焼肉やらカレーライスやらを作ってタープ、の下でエスクード談義が繰り広げられた。

 彼らの秀でたところは、誰彼となくルールを見出しこれを順守し、「やってはいけないことはやってはならない」という常識を積極的に広めていったことだ。
 林道は作業用道路でありそこを走らせてもらうもの。制限速度は時速20キロという法定速度がある。河川敷に降りる際に堤防の土手はたとえコンクリートで固められていても直接上り下りしてはならない。ごみは持ち帰る。
 彼らは当時、そのことを意識しながらオフロード遊びを覚え、テクニックを磨いてトライアル競技に乗り出す人もいれば、初心者が走りやすい林道を探しに野山を訪ねる人も現れ、率先して安全と楽しさを伝えた。

 仲間間のトラブルが無かったわけではない。クラブの体裁が大きくなるほど、むしろローカルルールの縛りが厳しくなった部分もある。ことメーリングリストのようなスタイルではオフラインミーティングに参加できない遠隔地の人もいれば、インドア派の人がたまたまエスクードに乗っているという場合もある。
 そんな人々にとっては、オフラインの告知も結果報告も、それに関連した対話の飛び交うメール着信も疎ましいものとなる。
 公約数と縛りとがいつでも拮抗していた。そしていつしか車の乗り換えの時期もめぐり合わせ、雑誌は休刊が相次ぎ、この時代に増殖したクラブも個人サイトも少しずつ閉ざされていく。

 今日、エスクード自体が代替わりを繰り返し、ユーザー層のすそ野も広がった。同時にオフラインへのニーズも変質しているように思える。
 しかし林道や河川敷で知り合った人々のコミュニケーションまでもが立ち消えたわけではなく、むしろクラブが無くなった後でも続いている。
 これから時間の経過とともに、とくに初代モデルが消えていくのは避けられない。当時のように泥んこになり埃にまみれる姿を見ることができるのは、今が最後の時代かもしれない。

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