ESCUDO 
We are constantly running at ESCUDO.
昭和最後の傑作機
そして四駆を新時代に
 くどいようだがそれまでの四輪駆動車は、4WDと表記するよりも漢字で書いた方がしっくりするような、硬くて四角くてごつごつした印象が強かった。そこにマイクロサイズで挑んだのがジムニーだったが、ジムニー自体も形はミリタリー嗜好から始まり、二代目でシンプルかつ定番のスタイルが出来上がるものの、角の立ったデザインであった。

 前置きとして、スタイリッシュな車体を初めて実現したのはエスクードよりも少し早く、日産のテラノが先鞭をつけているし、もう少し拡大解釈すればトヨタのハイラックスにキャノピーを架したサーフがあげられる。
 それでも、初代エスクードは「都会的で洗練された、RVブームの立役者」として認められている。
 それは、今だったらまだまだスクエアな車体と言えるがウエストラインから屋根頭頂部までを左右方向から大胆に絞り、ノーズラインもスラントさせ、縦横構成の面に「斜め」を加えたことにあるだろう。
 初代エスクードのデザインコンセプトについては、これを手がけた片岡祐司さんの寄稿をいただくことができたので、別項に掲載したそちらが詳しい。 
 スズキはこの新開拓市場に「大人の愉快」というコピーで乗り込んだ。なぜ大人、なのか。これは車体開発に携わった二階堂裕さんが「ジムニーに乗ってきた顧客がちょっと大人になったら、次に乗りたくなる四駆。それを考えよう」と提唱したことに始まる。
 かくして直四‐1600ccという、当時としてはメーカー最大排気量を搭載し、ハードトップ、ハードトップ・バン(貨物登録車)、コンバーチブルと、極めて贅沢なラインナップでエスクードはデビューし、当初8バルブであったエンジンを16バルブ化してマイナーチェンジするやロングサイズのノマド、期間限定的なレジントップなど、これでもかというほど選択肢を広げた。

 同クラスにはオールドテイストのままボディラインをブラッシュアップしたダイハツロッキーも登場しており、ユーザーの好みは二極化するとしても、コンパクトクラスの4WDとしては大きな空白地帯。
 エスクードが費やした5年の開発期間を追いかけるには、既存のプラットホームからデザインで肉薄するしかなかった。しかし三菱パジェロが二代目で車体をスタイリッシュに仕上げ、トヨタがRAV‐4を2000ccクラスで繰り出してくるなど、追随も油断できなかった。

 エスクードは満を持して、V6エンジンをもって2000ccクラスに切り返しを図る。5名乗車を可能としたノマドで成功し、ここに6気筒を奢るという作戦は大きな話題となった。ただしこのエンジンはやはり小排気量多気筒のトルクの細さをハンディキャップとして抱え、主力はこの後ベストマッチと言われる直4へ譲り、V型は2500ccへボアアップされ言わばツアラー志向に置かれる。
 マツダからのディーゼルターボエンジン供給も受け、同社にはプロシードレバンテとしてOEM出荷した。また、北米ではサイドキック、ジオトラッカー、欧州ではビターラなど輸出ディビジョンごとに車名を変えて各国に市場を広げた。海外モデルには1300、1800などのエンジンも投入され、2000ccのコンバーチブルも存在した。

 四輪駆動車のモデルサイクルは乗用系よりも長く、初代は9年ちょっとの販売でモデルチェンジするが、実際にはこれだけの車体バリエーション展開やエンジン変更が行われている。
 Gリミテッド、ヘリーハンセン・リミテッド、ゴールドウイン・リミテッド、ハットトリック・リミテッドといった限定車や特別仕様車を織り込んだ販売展開も矢継ぎ早に行われ、多くのユーザーのハートを射抜いた。

 スズキというメーカーのポジションは過去とは異なっている。だが大抵の評は軽自動車メーカーの次元から出ようとしない。ゆえに今日にあってもエスクードが名車扱いされたことは、ほぼ皆無だ。
 それでも、初代を手にした人々は、長所短所も含めて記憶に残る1台として捉えてくれている。

Return