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10年弱でライトクロカン市場を生み出した初代のあとを継ぐには、国内においては飛躍が裏目に出たモデルチェンジだった。
これは、エスクードが世界戦略車として一応の成功をおさめ、二代目においては特に北米マーケットを意識し、しかも当時絶大な影響力を誇るGMとの提携関係にあったことで、アメリカ人好みのデザインを取り入れたことが嫌われた。
二代目のデザインを手がけたのはGMのデザイナー。初代を担当した片岡祐司さんはサポートに付いた。「エスクード誕生物語」の項にそのスケッチが紹介されている。しかしいくつか描かれたスズキのデザイナー案ではなく、GMデザインが採用された。
あえて言うなら、初代がなぜ好かれたのかを振り返れば、つまり「アメリカンなテイストではなかった」真新しさではないだろうか。
北米のニーズがどうだったのかは知る由もないが、近所のあの車とはちょっと違う。というエスクード/SIDEKICKが、近所のその車と似通ってしまったら、わざわざ外国車を欲しがったりしないような気がする。
だって、初代はジムニーにもパジェロにもランドクルーザーにも似ていなかったから、良かったのだし。
それはともかく、二代目が本当に不振だったのかと言えば、3ドア、5ドア、7人乗りという国内バリエーションだけでなく、海外にはコンバーチブルも存在した。
国内だけに絞っても、もともとエンジンラインナップの豊富だった初代同様、直4‐1600、直4‐2000、V6‐2500、2000ディーゼルターボに加え、7人乗りグランドエスクード用のV6‐2700ccへと拡張された。異色の企画として唯一のV6‐2000とエアロパーツを組み合わせたローダウン仕様のV6スペシャルなどもある。
車体構成は3ドアと5ドアで、それぞれナローボディとオーバーフェンダーでワイド化された後期型に推移する。コンバーチブルも存在したが国内投入はされなかった。
二代目の大きな変更点は、初代以上の乗用車化・・・もとい、SUV化で、リアサスペンションに5リンクを追加したことと、ステアリング形式をボール・ナットからラック&ピニオンに変えたことがポイント。普通に走らせて扱いやすいということは、商品としてはオフロード性能を追求することよりも重要なことだ。
同時に控えめにディメンションを膨らませた程度ながら、室内空間に効果を表していること。助手席に乗って窮屈感がない。
忘れてはならないことだが、二代目はオンロード寄りを強めながらもラダーフレームを踏襲している。「クロスカントリー・セダン」というコピーは案外伊達ではなく、デュアルパーパス性能を高めようとしていたのだ。
吊るしのまま走ったわけではないが、パリ・ダカールラリーにおいてアピオの尾上茂さんが最も良い成績を上げ完走したのは、二代目エスクードが素体となっている。
このエスクードにはいすゞビッグホーンの3200ccガソリンエンジンが搭載された。後にパジェロエボリューションの3500に換装されたものはリタイアし焼却処分されているが、完走したた二代目は現在、モンゴルラリーのオフィシャル車両として現役だという。 |
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