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世界征服活動のうち、主に「つくばーど」によるエスクードのミーティングやイベントを次々と粉砕しようと進撃してくる「新帝国WANI」を率いるDr.ワニには、かつてSJ30からJA51にステップアップしようと日々の精進を続けていた真っ当な時代がある。
それを阻んだのは、エスクードをデビューさせ、あろうことか代わりにJA51・ジムニー1300を廃止してしまったスズキであり、このエスクードがまた折からのRVブームに乗ってそこかしこにファンクラブを立ち上げさせるというとんでもない事態を引き起こした。
これがDr.ワニの闘志と復讐心に火をつけ、打倒エスクードフリークの誓いを立てさせたのである。
Dr.ワニは毒を以て毒を制する策略を企て、北米から2台のSIDEKICK、欧州からはビターラコンバーチブルを鹵獲。新帝国の持てる技術力を惜しみなく投入し、そんじょそこらのエスクードでは歯が立たない屈強の布陣で次々とエスクードユーザーの注目の的となっていった。
とあるクラブのエスクードドレスアップコンクールでは優勝を勝ち取り、どことは言わないが一時期エスクードで勇名を馳せたジムニーショップの広告塔にまでのし上がり、彼の野望は着々と進行する。
そして現在、多くのエスクードユーザーが頼りにしている桶川のあのお店にまでその名を轟かせるに至った。
もはや、つくばーどの打倒は夢ではない。頑張れDr.ワニ、戦えDr.ワニ! 世界征服は目前だっ |
・・・というしょーもない妄想はともかく、Dr.ワニを世を忍ぶ仮の姿とする和邇さんは、本当に小型車版のジムニーに憧れ80年代を過ごし、あと少しというところで夢破れた人である。
だから彼は、左ハンドルの逆輸入車にこだわってきた。
それでは心底「エスクード憎し」なのかというと、90年代にはクラブ運営のサポーターとして奔走していたし、他の追随を許さないほど自身の所有車のカスタマイズに余念がなかった。
それほどに個性を湧き立たせながらも、雑誌の休刊によるクラブの解消や、エスクード自体が彼の理想域から乖離する代替わりを繰り返すなど、逆風が吹き続ける。
挙句の果てに、自慢のSIDEKICKで移動中、信号待ちの際に並んだ見知らぬライダーから「(つくばーどの)雷蔵さんですか?」と人違いされてしまう、これ以上ないダメージを受けるに至った。
しかそれにもまして21世紀の自動車環境は激変しており、和邇さんも2人のお嬢さんたちには時代にマッチした愛車選択をすることとなった。
「そしたらねえ、やっぱり燃費が良くて運転が楽で、駐車スペースも少なくて済むというのは認めざるを得ないよねえ」
どこか寂しそうに笑う和邇さんの話を聞くと、新帝国の動向以前に、和邇家としての変革が待ち受けているような予感を覚えさせる。
なればこそ記憶しておきたい。天邪鬼をよしとする、というより「泣いた赤鬼」の青鬼のような、口が裂けてもエスクードが好きとは言わない大のエスクードフリークのことを・・・ |
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