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謎の看板 E.C.J.

最古のエスクードクラブ

 1988年、既に人類は日本エスクードクラブ『ECJ』を結成していた。
 『ECJ』の本部は、日本のとある自動車クラブの会報編集部に非公式に作られ、沈着冷静なF編集委員長の下、日夜、新型4WDエスクードの情報発信に敢然と立ち臨んでいた。
 『会報・スーパースージー』。この会報がエスクード情報をキャッチすると、直ちに全会員に紹介。
 『TA01R』。それは『ECJ』の実働部隊。(当時)世界で最も進んだジャンルの小型車4WDである。そのドライバーはF編集委員長自身で、オン・オフを問わず快適なスピードで進み、エスクードのニュースを激写する、メーカーの最高頭脳を結集して作られた、『ECJ』のメカニック。
 『TD01W』は、貸与されたノマド。ここにはコストパフォーマンスに優れたユーティリティが備えられ、F編集委員長はロシアンラリーに出走した。
 『ECJ』会員獲得の準備はできた!
 (ここまで、バリー・グレイの音楽をバックに、矢島正明さんの声のイメージで黙読してくれた方に感謝)

 ・・・というのが、1988年から5年間ほど存在した、幻の日本エスクードクラブ『ECJ』の簡潔な紹介である。会報・スーパースージー誌とともに実在したクラブ活動であったが、残念ながら現在は残されていない。
 F編集委員長とは、スーパースージー誌がまだ季刊の会報時代であった頃の2代目編集者、古瀬克矢さん。
 編集長着任最初の会報が88年夏の号で、基幹特集企画は、誕生したばかりのエスクードの紹介だった。
 古瀬さんは自らコンバーチブルのエスクードを所有し、日本ジムニークラブの中にあって、新しい4WDとして世に送り出されたエスクードのアピールを買って出た。

 「実際の参加者は私一名だけでした。エスクードでオフロードツーリングなどをしてみたかったので、自分でコツコツ改造していました。しかし、JCJのツーリングに同行した時に、林道でかなり壊れてメゲました」

 古瀬さんからいただいたコメントは、うーん、やっぱり、という内容なのだが、孤軍奮闘が報われなかったわけではなく、その後スーパースージーに掲載されたJCJ各支部のイベント投稿写真には、ちゃんとエスクードユーザーの参加の様子が記録されている。

 「当時はまだエスクードが乗用車として捉えられていて、オフロードカーとして認識されていなかったのですね。かなり手を入れれば、オフもいけると思うのですが、やはりお金がかかります。その点、現在は中古車が安く手に入るので、楽しめるのではないでしょうか? マニアックな仲間も大勢いて、うらやましい限りです。ぜひ、楽しいエスクードライフをお送りください」

 『ECJ』を“幻のクラブ”と評するのは礼を欠くかもしれない。形としてのクラブには至らなかったにせよ、多くのユーザーが思い思いのコミュニケーションを生み出している。我々は、その源流に『ECJ』という志があったことを記憶にとどめ、受け継いでいきたい。
 

本稿は「スーパースージー60号」に掲載した連載の再掲です。
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