VOICES 
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SIDEKICK

 遠州灘の街から週末になるとやって来る。
 彼の地図は、天竜川を渡るとそこは利根川の左岸という距離尺度。そればかりか時には下北半島の突端にまでも現れる。
 だから彼は、週末関東人と呼ばれながらもうひとつ、荒行の男という異名を持つ。
 こう書くとすごい奴に思えるが、当人は至って穏やかで勤勉な、ウルトラ警備隊よりもMATをこよなく愛する特撮マニアである。
 
 
 それは1996年のこと、所有していた日産ブルーバードの車検満了が近づき、そろそろ次のクルマをと考えていた時に、4年落ちのエスクードハードトップを手に入れた。
 当時は大学を出た後そのまま東京で仕事に就いていたので、関東から遠州への帰省の足だったが、転職に伴い遠州に戻って関東との縁は薄まっていた。

 ある時、所属していたエスクードオーナーのメーリングリストで告知されていたオフロード走行会とキャンプに興味を抱き、これに参加したところから、エスクード仲間との交流が始まる。
 99年のことだ。
 それから開かれた多くのオフラインミーティングは、どういうわけか茨城県が多かった。やれやれ、往復700キロだよ。
 しかしこのイベントがいろいろと面白い。集まる仲間も気心がわかる面々。だから金曜日の夜が更ける頃、国道1号と246号を北上するようになった。
 テンロクの3型は、後になって知ったが初代エスクードで最もバランスの取れたモデルだったそうだが、さすがに東名を長時間走るのはつらく、むしろ深夜の国道を気ままに流す方が楽しかったのだ。

 そんな交流の中で、茨城イベントの主催者が「東北って、島国の中なのに大陸なんだよ」と語った。
 なんだろう、その奇妙な喩えは?
 試してみたが、これは福島県までにとどまった。テンロクもいささかくたびれていたのだ。
 だが東北大陸説には惹かれた。
 車を直4の2000に乗り換えた。これは見違えるほどパワーにあふれ、シートもまともになっていた。津軽海峡まで毎年一度の単独行を何度か敢行した。片道で700を越える。
 確かに大陸だった。

 茨城の、いわゆる「基地」は、その中継点として頼りになった。それだけでなく、何の前振りもなく訪ねて行って、よりにもよって紅白歌合戦とゆく年くる年をそこで鑑賞し、小言も言われず雑煮を振舞ってくれるようなところだ。
 そういう交流は、SNSの時代や世界では想像しにくいかもしれないが、たまたまとはいえエスクードに乗っていたことが、不思議な縁を招いた。

 2000の直4は、これもまたちょっとした縁から福岡のダートトライアルチームに譲渡し、今はV6の2500で、しかも二代目という変わり種を走らせている。
 やはり行先は利根川の向こう側だ。
 往復700キロは、既になんということのない時間距離になってしまった。変わったことと言えば、体力がいくらか落ちたことだろうか。
 ところがあの主催者ときたら、自分自身が週末関東人となって東北の単身赴任地との行き来をしているではないか。
 その専売特許は譲らないぜ。何しろこれほど痛快な荒行は無いのだ。
 だが一言。
 誰でもいい、やってみなよ。どれほどの荒行なのかは、そうしなけりゃわからないよ。
 

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