さよなら うさにーFB13
22万キロ お疲れさまの道のり

NISSANサニー1500スーパーサルーン
25thアニバーサリー GTSルック
1991年12月〜2005年6月
ドライバー:嵐田れいん


 つくばーどが所有した全てのエスクードとペアを組み、裏方に徹して走り続けてきたFB13、うさにーが退役することとなりました。
 とるねーどらすかるほどの距離ではないけれど、1991年12月から足かけ約14年。積算走行距離22万キロと、よく頑張ってくれました。
 専任ドライバーのれいんさんは、当時この車を採用するにあたって、4ドアセダンでありながらも、S110の3代目シルビアから派生したガゼールの、ロングノーズ・ショートデッキスタイルという面影を見出したそうです。
 それはつくばーど前史のお話になりますが、エスクード以前、ジムニー以前に嵐田が乗っていた車のことであり、前史というよりもなれそめに近いエピソードを含んでいます(だから詳しく書かないけどね)

 黄昏色と言われたガゼールに対して、ジムニーを何台か間に挟んで始まったエスクード史は、空色の車が最初でした。空色のエスクード・ヘリーハンセン導入の2年後にやってきたこのサニーは、広がる草原を模したモスグリーン。空と大地の邂逅となりました。
 うさにーはFB13型の前期モデル。サニーそのものの誕生25周年記念車として、1500ccスーパーサルーンをベースに、ホットバージョンであったGTSと同じルックスを擁していました。
 最高速度も燃費も、いかなる長距離移動の快適さも、エスクードでは歯が立たない。ベーシックで控えめでありながら、あらゆる部分に秀でていた1台です。




 「うさにー」の命名は、らすかる同様、長女の彩乃によるものです。ぴょこんと張り出したサイドミラーを耳に見立て、サニーとミックスしてつけられました。子供たちのイマジネーションでは、リアスポイラーは“しっぽ”なのだそうです。
 それでも、うさにーという愛称は、とるねーどらすかるの“とるねーど”や“らすかる”の由来を説明するよりも、シンプルでわかりやすいですね。
 
 その車体色が功を奏して、一見すると痛みや疲労はあまり感じられないのですが、全体的にボディが歪み、サイドシルは僅かにねじれています。パネルの傷も随所に刻まれています。歪みの影響が顕著なのは、トランクリッド。片方に偏重して、雨水の侵入を防げません。
 走り出せば、相変わらず、とるねーどらすかるをぶっちぎるのは一瞬の加速ですが、走り出そうとするときが難儀で、ATセレクタの機構が故障し、一度Pレンジに入れたら、シフトロック解除ボタンを押し込まなければDレンジに動かせない。パワーアンテナも故障してラジオが受信できないという、過酷な使用条件を次々と背負いはじめました。
 この春、ラジエターにクラックが入り、クーラントを一気に噴いてしまうというトラブルを経験。パーツの交換を施しましたが、この先の故障は致命的な領域に達しそうだと、れいんさんも苦渋の決断に至りました。

 折しも、うさにーの後継機にふさわしい車が見つかりました。れいんさんも、後継機には納得がいったようです。
 うさにーFB13は、長い道のりのゴールをくぐります。ここに、その記録を残し、偉大な裏方の労をねぎらいたいと思います。