1989年5月。誕生一周年を企画し、登場した限定車、ヘリー・ハンセン リミテッド。
 新マリンバージョンと銘打たれ、エアコン(当時は標準装備ではなかった。アクセサリーソケットですらディーラーオプション)、気圧高度計と傾斜計、ハンドライト、携帯シャワーと、複数のオプションを惜しみなく特別装備し、400台の限定で販売された。
 ここで初めて、オートエキスポのルーフキャリアとルーフエンドスポイラーがお目見えした。このエスクード専用キャリアのデザインと、ジムニーJA71等に使用されていたインビエルノ・ブルー・メタリックの車体色、標準モデル以上の防錆処理は、買い得感が高かったものの、SUZUKIも強気で、5万円しか値引きしてくれなかった。それ以前に、当時世話になっていたディーラーへの割り当てが2台しかなかったという競争率であった。
 実はこの車体色でコンバーチブルをオーダーしたのだけれど、あっさり「無い」と言われた。
 結果的にはハードトップの選択に不都合はなく、約1ヶ月を待って納車となる。その間、限定車でとにかく数がないと言われていたにもかかわらず、隣県の知人が、こともあろうに同じタイプに乗って現れたのには、心底やられたと思ったものである。それより驚いたのは、このヘリーハンセンが、限定イヤーモデルであることを知らされておらず、翌年も若干の装備変更を施しながら登場したことであった。結局、ヘリーハンセンは、初代モデルの最終年度まで毎年登場し、2代目にも引き継がれていくブランドとなった。
 いつの間にか限定、ではなく特別仕様となっているところで、二重にやられたのである。
 そんなことになるとはつゆほども知らない89年の夏、まだ知名度の低かったエスクードは、まず「これは新型ジムニーの小型車?」とたずねられる。「スズキではプジョーも売り出したのか?」という声まで聞かれた。
 その都度、苦笑い。