3年続けると、本物なのか、物好きなのか。3年通っているのに、見聞したいものの全てを見て回ることができない。無計画な時限付き放浪という行程が良くないのだけれど、なんとかなるさと走り出してしまう気持ちが、一番先に来なくてはと、いつも思っている。
 でも、東北という大陸は、やっぱりそんなに甘くない。
 前回、本州最北端の地・大間崎にはたどり着いていたのだ。しかしその時間が夜。かもめ食堂のマグロ丼も食えず、「行ってきたぞ」の証明写真も撮れなかった。今回は、ただそれだけが目的。などと言うと「ばかだそれは」などとからかわれるのは必至なので、下北の風景をほんの少しでも見ておきたいという、理屈をつけておく。



しかし、冒頭でいきなり“おぎのやの釜飯”が出てくるのだから、どこをどう走ってるんだと、別のつっこみが入るのも確実。更埴・横川経由で関越から新潟へ出て、郡山から東北道に入ったですよ。
 「いいじゃねーかっ 横川の釜飯を尻屋埼で食う。この醍醐味は文句なく面白いぜ」
 ただし、釜飯の賞味期限内に到着しなくてはならない。今回は大型連休の渋滞で、実は間に合わなかったが、クーラーボックスで保存移動したので、食うことは食った。
 だけど、尻屋埼灯台へのルートが、夜間封鎖されているなんて、調べていないから知らなかった。またしても23時着というおおぼけをかましてしまう。北海道で発生した低気圧が南下してきて、激しい雷雨の中、寒々とゲート前で夜明かし。尻屋埼の沖合は潮目の変わる難所だという。この天候では海も荒れているだろう。

 雨上がりの5月4日は、空模様の回復と共に気温も上がっていく。灯台見学をしながら放牧地を周回するルートを走っていくと、寒立馬(かんだちめ)の親子が草をはんでいた。「かんだち」という言葉はマタギの言葉で、厳寒の中、身じろぎもせずにたたずむカモシカの姿のことを言うらしい。寒立馬は、「野放し馬」とだけ呼ばれていたものが、昭和40年代半ばに、地元の学校の校長先生が俳句に詠んで「寒立馬」と名付けたそうだ。競走馬とは全く異なる、たくましい脚。野生ではなく、農用馬だ。

 大間崎は、尻屋埼とは対照的に観光地然としている。本州最北端の記念碑がどんどん増えている。ミーハー根性で、話題によく出てくる「かもめ食堂」でマグロ丼を食う。その件をメールで伝えたら、『さすが大型連休だねえ。あんた、フィンランドにいるの?』と言われてしまった。何のことか解らなかった。が、ここではなく尻屋埼の方の風景ならば、ところによってはフィンランドのようにも見えなくはない。でもなぜかもめ食堂とフィンランド? 調べてみたら、そういう名前の映画があったよ。
 日の高いうちに恐山と宇曽利湖の風景を眺めながら、青森の地を離れる。恐山は冬ごもりが終わり開山していたが、背筋がさわさわとするので撤収。
 
 5月5日だから、ここへ来たというわけではない。漫画が子供の持ち物という時代は、とうの昔に終焉している。いやむしろ、むこう半世紀の未来、漫画の位置づけがどこまで変化していることか。
 石ノ森章太郎さんは、サブカルチャー以前の存在だった漫画を、少なくともサブカルチャーの域に押し上げた作家の1人だと思う。作風のバリエーションが広く、ファンタジーからSF、社会ものまで、どん欲に作家活動を行っていた人だ。
 しかし石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森)出身のこの人の博物館が、なぜ石巻にあるのか(中田町にも記念館がある)、来てみるまでは、商業観光に担ぎ出されたのかなと思っていた。

 「あのへんてこな建物は宇宙船であり、ピラミッドなんだよ。98年に亡くなった石ノ森さんの魂が、数年ほど宇宙を旅して、地球に帰還してきたというコンセプトがあって、観光資源としてみるよりも、漫画という文化の記録と可能性が詰まった遺跡だと思えばいい」

 ああ、なるほど。そういう説明を受ければ理解しやすい。
 瑞巌寺や立石寺や中尊寺が、気の遠くなるような年月を重ねることによって奥州の歴史的遺構として、宗教だけでなく建築や仏像美術の面でも資料価値が高まるのと、「石ノ森萬画館」は、異なる素材で、同じようなことをやろうとしている。石ノ森さんは宗教的な見地には無関心だろうから、石ノ森さんのテーマを受け継いだ人々が、漫画・「萬画」のカルチャー成熟を、この場所から情報発信したいのかもしれない。
 そのあたりの街興しがうまくいっているのかどうかは、さびれた街の景色からは想像しにくかった。もともと水産業の都市だから、それで食っていけるのだろうけれど。
 石ノ森さんといえば、来年の2008年は没後10年と同時に、生誕70周年になる。なんだよ、またここでも自分は1年早く来ちゃったことになっている。
 日本中、行きたいところ、行ったことのない場所は、はまだまだ沢山ある。東北はこれで一段落させようとも思ったけれど、簡単には完結編へ持って行けないのかも。
 理解されるには生まれた時代が早すぎて、何年も経ったのに完結できにくいって、「サイボーグ009」もそういう作品だとか・・・