つくばーど in 尼崎
今や伝説のスズキアリーナ店


年末の大掃除の中で発掘された写真をもとに、
初めて訪ねていった日の様子を収録。
 現在のスズキ自販体制が始まる以前の、メーカー・自動車販売店直接契約の頃、兵庫県下に存在したアリーナ尼崎は、このエリアで最も多くのエスクードを世に送り出したディーラーだった。
 聞き及んだ逸話は数えきれず、578,000kmという国内最長不倒距離を刻んだテンロクノマドを輩出したり、52台の逆輸入サイドキックを正規ディーラー限定モデルとして全国販売企画に乗せたり、店長ご自身も7台ものエスクードを乗り継いだり、初代モデルの全盛期には、顧客の大小をすべてひっくるめれば、全国規模のネットワークを構築していた。
 このアリーナ店は自販体制への切り替え時期にお店を畳んだものの、古いエスクード乗りは今でも、別会社となった“元店長”を慕っていく。
 元店長、森さんは当時、エスクードを販売する際、顧客との商談を店内で完結させていなかった。顧客の時間の許す限り、店で買い上げた試乗車を使って林道ツーリングに出かけ、エスクードをまだ知らない顧客に、その性能やメリット・デメリットを実践で伝えていたのである。
 つくばーどのあーまーどらすかる計画も、最初に装備したフロントグリルガードのシステムキットは、森さんが提供してくれたものだ(後に何度か破損し、コムロさん提供の予備パーツや、ネットオークションで確保したものに交換されている)し、初期のつくばーどがイベントを開くときには、何の前触れもなく、段ボール箱一杯の販売促進グッズを、時期遅れモノとして送り届けてくれた。
 おそらく森さんは、誰よりも古い時代から、エスクードユーザーのコミュニティーづくりに励んでいたと思われる。そのアリーナ尼崎に、あーまーど計画のお礼と報告を兼ねて訪ねていったのは、2001年秋のこと。USJ見物で大阪入りしていた僕と家族を、でぃやんが出迎えてくれて、尼崎まで案内してくれた。

 ちょうどグランドエスクードの5人乗り仕様のヘリー・ハンセン・リミテッドがリリースされていた頃で、この展示車が入ったら、あとはもう応接テーブルしか置くことのできない、小さなショールーム。フロアには所狭しと楽器やスキューバダイビングキットが並べてあったが、店内演出ではなく、いずれも森さんご自身の趣味。このお店から出荷されたエスクードの数々のエピソードをうかがう。
 「らすかる、きっと月へ行けますよ」
 既に1台のエスクードが走った、とてつもない距離を知っている森さんには、月という天体は、それほど過酷な目標ではないと励ましてくれた。
 そういえば、初代モデルのフロントバンパー下にあるインテークまわりに、補助灯を取り付けるスタイルは、森さんが試行錯誤の末、開発した。その後あちこちのショップが追随したが、実はほとんどのショップが、森さんのところから取り付け用パーツを購入していき、あとで「自社開発」として売っていたらしい。