SC出版社長にして元スズキ社員時代にエスクードの開発を手掛けた二階堂裕さんが、ご自身のブログで「エスクードの紙媒体の書籍を書く」と言及した。エスクード誕生30周年の折にもこの話題が出たものの、実現しなかった。話を聞かないわけにはいかないと、事務所を訪ねた。

 例によって深夜に北関東道、関越道、圏央道を走りつないでBLUEらすかるの積算走行距離を積み上げながら、狭山パーキングエリアでビバークし、店内のベーカリーで朝食を買う。このあと入間市で別の仕事をこなして再び圏央道に乗るのだが、八王子ジャンクション周辺の慢性渋滞に加えて故障車続発の交通情報、なんと海老名までほとんど動かないとラジオが言っている。
 これはたまらんと、高尾山で一般道に降りて、つくばーど基地のあたりよりはずっと都会の田舎道を進むと、快適に厚木へたどり着けた。
 「おーい、みんな! 99万キロ走っているエスクードが来たぞ!」
 出迎えてくれた二階堂さんは、RV4ワイルドグースのメカニックさんたちを呼び寄せ、見物が始まる。ここへ到着した時点で、残る距離は900キロを下回っている。
 「まず昼飯だね。うまいサンマーメンの店に行こう」
 生碼麺というのは横浜発祥の中華料理で、肉野菜炒めあんかけラーメンと言ったところ。こってり系に見えてあっさりしているうえ、あんかけの効果で汁も麺も冷めない。最初にコショウを振り、半分以上食したら次に酢を加えて味変を楽しむのだとか。
 「このあたりじゃここが一番うまいんだよ」
 「厚木や平塚って、ラーメンの店が多いですねえ」
 「全国平均の3倍の軒数だそうだよ」
 この往復、BLUEらすかるは二階堂さんに運転してもらった。
 「なるほど私の直4とは走りが全く違う。グランドエスクードを買ってわかったけれど、V6はフロントが重いんだね。それにしてもほんとに99万キロも走ったのかって思わせるエンジン、グッドコンディションだなあ」
 実際にはエンジンよりも駆動系が末期症状、ATFがいくらか漏れ始めている。

 

 オフィスに戻り、今回の書籍企画について、どのようにすすめるのか尋ねた。
 「まず別の本なんだけれど、エスクードについてはもう、一冊書き終わっていて、全体の中の1パートに登場させるんだ」
 これはワイルドグースの創業30年や、日本ジムニークラブの40年を軸に、スズキとかかわった二階堂さん自身の自伝のような内容だ。ゲラを読ませていただいた。
 1984年に「次期ジムニー開発会議」が招集され、そのときの社内の盛り上がりと、そこに感じた違和感から、二階堂さんがこれを差し止めさせ、ジムニーの延長上にあるべき小型車四駆を、ジムニーとは異なる商品として作るべきだという主張を打った。それがエスクード誕生のきっかけであることは、多くのエスクードファンの知るところだ。故に二階堂さんは「エスクードの父」と呼ばれている。
 しかし、この逸話はあちこちで披露され、引き出しとしては新鮮味に欠けてもいる。これを自伝で使ってしまうと、次の次に出すという「エスクードの書籍」は、何を表現するのか。
 「それが難しくてね。あなた方が周年企画でいろいろなウェブの読み物を作っているし。ただ、エスクードについての歴史と思想を残しておきたいと考えるようになった。だから採算を考えずに紙の本として出したいと思っているの」
 ん? 出す、ではなく出したいにトーンが変わっている。それが怖いのだが、どうやらその書籍に関してはユーザーやファンの出る幕はなさそう。クルマ作りの中にあっての、エスクードの作り手からのメッセージといった内容になるようだ。
 それでも、書籍を通して初めてエスクード誕生秘話を知る人々も出てくるだろうから、この企画は歩を止めてもらいたくない。手に取れる日を待つから、例えばエスクード誕生40周年をターゲットに間に合わせてほしい。とお願いした。
 2時間ほど談話させていただき、帰路につく。復路の圏央道に渋滞はなく、日没の頃に地元の山並みが見えるところまで戻れた。帰宅時の積算走行距離は、あと650キロを記録している。