3月11日の東日本大震災以来、仙台での被災地生活を経て一時的に天狗の森へ帰還する猶予が得られた。この日までに一度、石巻の仕事先にてCyber−Kさんと落ち合うことができたのは、幸運の兆しであった。仕事の領域なのでそこは割愛するが、そのことがきっかけとなってか、駆け足の帰省において立ち寄る先々で、エスクード仲間が出迎えてくれた。
 帰還のルートは山形経由で東京を目指すものだったが、ここで山形在住のしろくまさんが、出発前夜の晩飯にお付き合いくださった。
 しろくまさんは、最終型の1600cc5ドアに乗るヘビーユーザーで、このエスクードは4基めのエンジンを載せており、現役で36万5000キロの距離を刻んでいる。彼も発災のときは、仙台市域の東北道に居たという。破損の始まっている道路を8時間かけて山形へ戻るまで、エスクードはたくましい走りで安心感を与えたそうだ。
 郷土料理をいただきながら、車の話よりもお互いの仕事の話から(まったく異業種)いくつもの共通項を見つけては、対話が盛り上がる。ちなみにこれが初対面なのである。

 「いま、まさに山形は隣県や関東各地との中継点として機能しています。我々が元気でいれば、東北の復興にも役立つときが来るでしょう」

 翌朝、空港まで送っていただきながら再会を約束し、東京経由で水戸を目指す途中、高速バスの発射時刻まで、あおいろさんとはまたにさんが仕事を区切って駆けつけてくれた。
 大震災は東日本を広く襲った。しかし都内や茨城の様子は、きわめて間接的にしか読み取ることができていなかった。発災時の東京のことをあらためて聞かせてもらうと、みなさんそれぞれに大変な日々を送っていたらしい。

 「現在の発熱したような復旧支援のムーブメントが、急速に息切れすることが怖い。もっとフラットに、日常の接点として復興への長い年月に向き合っていかなければ」
 「政治の力と権限を有効に役立てていく底力は、やっぱり民意でしょう。それを後押しできるのが企業であり、そのリーダーたる経営者の判断力や決断に期待したい」

 なんと真剣な対話であることか。エスクード乗りではなくビジネスマンの視点と論点で聞くことのできたコメントは、このまま仙台に持ち帰って業務の糧にしたいと感じた。彼らに見送られて一旦、バスに揺られて水戸の客先に向かい、仕事を片付けて遅くに帰還する。

 再び仙台に出かける直前、寒々とした雨天も何のそのと、天狗の森に沢山のエスクード仲間がやってくる。みなそれぞれ大なり小なり被災しているのだが、「仙台に比べればましな方さ」と、激励の言葉を持ち寄ってくれる。ひさしぶりの野営料理。わが娘たちの調理デビューや、いつものてるてる結界が効果を表し、うまい料理を振舞ってもらううちに、雨は上がっていく。

 余震が絶え間なく続く日々。これまでは独りでくぐり抜けてきたが、多くの仲間たちにエールをいただくことができた。これは折れてはいられないねと、カラ元気ではない、中身の詰まった元気を背負って、復帰していくことができる。