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太平洋沿岸の原子力発電所で起きている事故がもたらす、放射線や核分裂生成物の脅威は、その地を追われ避難するしかなかった人々を苦しめる。そればかりか、様々な風評が飛び交い、避難先でもあらぬ誤解をもたらす。 仲通に位置する福島市は、直接の影響を受ける距離にはないが、特産品の出荷制限や、制限外の品物の取引減、観光来客の激減が起きている。たまたまこの日、一部を除く県内産の牛乳出荷制限が解除されたが、影響はしばらく残るだろう。 市内では有名な花見のスポット、信夫山に登ってみる。2000本といわれる桜が満開にもかかわらず、花見客はまばらだ。自粛ムードもあるかもしれないが、交通整理の必要もなく、駐車場の好きなところに車を置けるのは、例年通りのことではないと感じる。 信夫山には、巨人によって作られたという伝説がある。これはわが地元にも共通の逸話が残る。山伏のネットワークでつながっていたのかもしれない。その山伏は、伊達正宗の仙台開城にも投入され、この地から二十余里の北へ向かい、青葉山を開墾したという。青葉山という名前はもともと、信夫山の別の呼び方なのだそうだ。 桜並木の向こうに見える福島の街を眺め、歴史の勉強をしながら、交通量が少ないと感じさせる駅前を通過して、パジェケンさんと待ち合わせした老舗の蕎麦屋に向かう。席に着くや否やの大きめの余震。市内に入ってくると壊れた建物がいくつかあるが、ここ数日の福島側での余震は、住民には落ち着かないだろう。 パジェケンさんとは、昨年夏の岩手でのつくばーど以来。感情的なブログのことは照れているけれど、それが本心でもあるとうちあける。起こっている事象や拡散する風評被害を、どうしてあげることもできないが、気晴らしの車談義が無駄になることもないと思える。彼は、何を隠そう、今のエスクードで月軌道を目指してくれている一人なのだ。 老舗の蕎麦屋には予期せぬ出来事が待ち受けていた。 河岸を変えるために会計をしていると、レジの女の子とパジェケンさんがほぼ同時に、「○○さん?」「パジェケンくんっ?」と、驚いたような声を上げる。同級生同士だった。何年ぶりの再会? そういうことがあるのか。蕎麦屋の待ち合わせは彼の指定ではなく、僕の趣味で決めただけだったのだ。 再び信夫山を、今度は上らずトンネルで潜り抜け、街道沿いだが目立たず落ち着いた趣の喫茶店に移動する。やはり福島在住のエスクードОB、Navy blueさんと合流するためだ。現在はホンダ・ビートに乗り換えているが、それならそれで、幌車の同盟なのである。しかも5年ぶりになる。当時まだ赤ちゃんだったお嬢は小学生。そのお嬢をナビシートに乗せて、颯爽とやってくる。 彼もまた、大震災の爪痕を憂えていた。それでも話題は明るい。家族が増えていくこと、背中は重くなっても、それが幸せの証しだからと、まなざしが語っていた。 お茶の時間が終わり、エスクード勢二人で時計を見ると、林道の一本は走れそうな日の高さ。雪解け水が流れ始めた郊外のルートに連れて行ってもらう。パジェケンさんのホームグラウンドだ。この林道ではないルートで、夏あたりにつくばーどツーリングのコーディネートをしてくれることになった。いつもの朗らかさが戻っていた。ちょっとだけでも、元気になってもらえただろうか。 |
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