青森市と弘前市、八戸市にそれぞれ仕事ができた。順番で回ると弘前泊まりで翌日に八戸という流れになったので、夕方から弘前城址の桜を見物できる。と、打診したところ、「まだ三分咲きだから、見所を押さえて案内するよ」と、白神爺。さんが迎えに来てくれた。いつものゆーのすロードスターではなく、レガシィアウトバックで颯爽と現れた白髪爺。さんは、城址公園の外堀を一回りしながら、「まず穴場の駐車場を教えよう」と、思いきり灯台下暗しな駐車場へ滑り込む。
 弘前城は、ことし400年の歴史を刻む節目の年なのだという。先日、福島県の仕事先に出向いた相馬市も、藩の開府400年とアピールしていた。東日本大震災は、様々な意味で忘れえぬ年回りに発災していたようだ。
 弘前市は震災の規模は大きくなかったが、城下町の構造は古く息づいているし、そこに近代化した街並みが上書きされる中、明治・大正時代の洋風建築がいくつか残されていることで有名だ。防災対策をしているとは思うが、火災には強くはなさそうな街並みだけに、地震被害が拡大しなかったことは幸いだ。
 待ち合わせの前にそれらを散策し、その年代物の建築のうちのひとつである、三上ビルに立ち寄る。
 弘前相互銀行の前身である弘前無尽株式会社が大正の創業時に建てた。完成時でいうと、正確には昭和の建築だが、ここには、さもありなんという佇まいの喫茶店が店子として入っている。
 とはいえ、喫茶店までがそれほど古くからやっているわけではなく、「珈琲 時代屋」はまだ28年ほどの店だ。それでも四半世紀を超えている分、建物の外観に店内の趣もも近づきつつある。
 連日雨模様だったという弘前だが、午後からは晴れ間が展開し、歩いても宿へ戻れる。ただしそれなりの距離を歩く。
 実は三上ビルは城址公園とは目と鼻の先。待ち合わせをはじめからここにしておけばよかったことには、宿まで半分の距離を歩いてからだったが、素泊まり早朝出発なので、明日の朝飯を確保する買い物も必要なのだ。
 このような前哨戦のあと、白神爺。さんと合流して再び城址公園に出かけると、確かに園内の見ごろにはちょっと早かった。弘前に吹き降ろす風は、岩木山からか八甲田山からか、どちらから吹いてきても、この時期はまだ冷たい風だ。桜も萎縮する。
 しかしこれだけ雨が続いたのなら、風がやめば一気に開花するだろう。
 手持ちの機材と目の前の素材で、桜祭りなどいかようにも見せてしまえばいいというわけで、園内を歩く。日差しがあるだけ勝機もあるというもので、こういう場合はキレの悪くなった自分の機材も役に立つ。微妙にぶれて露出もいい加減な動作のため、三分以上に咲いているように見えるのである。

 「最近のデジタル一眼レフは、何も考えずに撮ってもきっちり撮れるよねえ」

 白神爺。さんはそんなことを言うが、撮り場所とタイミングは百戦錬磨のなせる業のように思える。園内を歩く順路も、日差しを追いかけているから無駄がない。

 「だけど、かわいいお嬢さんがかっこよく歩いている場面がね、なかなか巡ってこないねえ」
 
 そればかりはどうにもなるまいと思ったが、帰り際に土産を買った露店の菓子屋が、いわゆる的屋のそれではなく市内からの出店で、売り子さんがそこそこかわいい。買い物をしている間にしっかり撮影している白神爺。さん。やっぱり只者ではない。
 夏になると、彼の仲間のロードスター乗りが、津軽を目指して集まってくるという。うちの幌車を、夏場にはこちらへ持ってきたいが、1台だけエスクード、というのは浮いてしまうだろうか・・・
 
 一夜明けて仕事に復帰し、八戸市へ移動する。今回の地震と津波は、1994年の三陸はるか沖地震に比べると、地震波の加速度から見ても軽かったのだという。だから町は落ち着いているし、沿岸でも岩手以南のような惨状は見られない。だがここより北のおいらせ町や三沢市においては、大きな被害が出ている。
 それにしても、東日本大震災と言われていながら、被災の軽さのためなのか、青森県は国の復興会議にかかわっていないし、被害がないとはいえ原子力施設もある。家屋被害は少なくても、港に打ち上げられ転覆している漁船を見ると、大丈夫なのかと心配になる。
 そのあたりのことを聞きに行ったのが青森や八戸での仕事だったのだが、八戸市や工業大学が、都市復興に掲げるべきハードやソフトの計画づくりに乗り出している。早ければ2年後には青写真を提言するようだ。それまで、国や東北全体の流れに立ち遅れないよう声を上げ、活動していきたいという。
 海岸線は穏やかな波が寄せては返していた。昼すぎの海は光の加減が程よく差し込み、震災以降初めて、紺碧の美しい海原を眺めることができた。八戸の桜は、ほぼ満開の時期を迎えている。

 帰路になって思い出したことだが、東北に居を移してから最初の北緯40度線を越える移動だった。
 このまま仙台に戻るのももったいないと、まだ見聞していない40度線のポイントに道草していこうと、一般道を南下する。
 細かいことは、SSレイドやEレイドに絡んできそうなので割愛だが、東北のポイントは一時期の攻略熱もなくなっている。ここまで来る人がいるとも思えないのが残念だ。それでも公式な40度線モニュメントだけでなく、地球儀を掲げた喫茶店があるのが面白い。どちらも昨年夏には寄れなかったところで、今回は足跡をつけてきた。
 ここまで走ってくると、盛岡市は目と鼻の先だ。地方裁判所庭の石割桜も、咲いている季節の様子はまだ見たことがないし、そこまで行くならパン屋にも寄らねばなるまいと、日の高いうちに寄り道の南下が続くのであった。