人並みに内蔵の老朽化で十二指腸に潰瘍だとか胃にポリープだとかの診断を受け、このポリープを内視鏡方式でかき落とす処置を受けた。だから四連休はおとなしくしているものなのだがもう不快で気分悪くて辛抱たまらんとなり、退院翌日の未明に「できなくなったらそれまでだしっ」とみちのくへ逃げ出した。


 三陸沿岸道の九割が開通し、松島以北は八戸まで無料で移動できる。なにより6時間以上かかっていた遠野や種山高原へ6時間を切る見積もりで到着可能となったのが大きい。
 いやまて、ポリープとった直後にラーメンなんか食っていいのか? でも術後の処方が「タケキャブ」のみ。胃薬だよ普通の(笑っていいのかわからないけど)
 特製ラーメンの「銀河鉄道の夜」は、叉焼とメンマがグレードアップしていて、いつも通りにうまい。年に一度しか出かけられなくなったのが残念だが、厨房を管理する佐藤さんがいよいよ定年とのことで、来期お目にかかれるかどうかわからないのが無念。
 「あとでお手紙書きますね」
 少しも変わらない笑顔で迎えてくれた佐藤さんは、とてもそんなお歳には見えない。


 登米市の中田町の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」が、会館20周年だという。
 個人的な趣味で、石巻市の「石ノ森萬画館」よりもこちらの方が好きなので、開館19年祭をやっている石巻はうっちゃり、記念館に立ち寄る。
 記念企画展は、仮面ライダーや秘密戦隊ゴレンジャー、仮面ライダーBLACKなどの初期デザインスケッチによるキャラクター創出を紹介していた。ライダーやゴレンジャーは「仮面」を意識し、BLACKは生物兵器というアプローチの違いを一目で見られる。
 コロナウイルス問題で4月、5月は開館できなかったそうだが、その間、スタッフ総出で模様替えやディスプレイのリノベーションを進めたとのことで、館内は以前よりグレードアップした。
 至近距離にある旧小野寺家、石ノ森氏の生家も、展示物が増えていた。
 もとは母親が営んでいた雑貨商の屋敷で、それ以前は別の用途で使われていた家屋を小野寺家で買い取ったものだ。
 偶然にも両隣の土地が建物を除却して更地となっており、未だと小野寺家の家屋を様々な角度から見ることができる。
 「この島村ジョー、なんで白い服着てるの?」
 家内は「赤いマフラーなびかせて」の、最初の映画二本を知らない。モノクロ放送の009と、定番の赤い防護服に黄色のマフラーは知っている。しかし意外なことに、ゼロゼロナンバー9人のうち、名前とキャラがわかっていたのはたった3人!(だいたい誰だかわかる)
 一気に意気消沈する家内をなだめるため、夕食とスイーツを同時に楽しめる山形市の店を思い出し、再び三陸道に上がる。

   

 山形市内に所在する「グランロック」は、コロナウイルス対策に余念のないフロア案内をしていた。当然のことだがマスク着用でないと入れてくれない。検温と消毒、この関連のサービスに納得できたかどうかの確認のうえ、席に案内される。
 夕食と食後のパイアラモードを堪能して、家内は満悦。ゲージも復活する。
 帰路を考えると米沢経由で東北中央道から東北道だが、高速道路の移動にいくらか飽きてきたところだった。すると須賀川から国道で福島・茨城県境越えルートを思い立つ。
 「須賀川! ピグモンどうしてるかな」
 「いやいやいや、夜の街頭に座っているあれって怖いよ」
 などと話しながら山形南下で福島に入り、安達太良で給油するとリッター11キロが出ていた。
 松明通りに設置された歴代ウルトラマンと怪獣の顔ぶれには変化はなかった。
 あのいで立ちが夜の闇の中から現れたら絶対に怖いと思っていたピグモンだったが、21時頃はまだ街頭の照明が明るく、それを眺めているような後ろ姿はむしろ哀愁漂うものだった。


 病み上がりで全行程約1200キロ。馬鹿もほどほどにしろと言われそうな、普通だったら一泊してくるみちのく放浪を、22時間で一回りしてくる。残念ながら青森県と秋田県には届かなかったので、次回があるなら6県制覇の弾丸を敢行・・・したいとは考える。
 途中の立ち寄りでは書き出しを省略したが、登米市で巨大なクワガタムシ(笑)を捕獲した。
 それからきわめて行き当たりばったりな行先選択とルートの二転三転を繰り返し、帰宅したところおもしろい積算走行距離になっていた。