越生町の山猫軒と言えば、知っている人はほとんど知っている(なんだそれは?)有名な喫茶店。オーナーで写真家の南さんご夫婦が営むこのお店には、田舎暮らしに憧れる人、ツーリングの目的地にやってくる人、宮沢賢治の注文の多い料理店にイメージを重ねて訪れる人が絶え間ない。
 もともと都内の郊外地に居を構えていたが、そこが都市開発の波に呑まれて越生に引っ越してきた南さんは、少し前までこの場所とは少し離れたやっぱり山奥の古民家で、この「山猫軒」を屋号として掲げて、野菜を育て、烏骨鶏を育て、その自然の食材を調理しながらお茶を出していた。
 現在のお店はその当時はスタジオ兼ギャラリーとして使われていたもので、喫茶をここに移してからもギャラリーに重きを置いている。静かでゆったりとした時間を過ごしてほしい。それだけがこのお店の、お客にメッセージする注文だ。それでも、BレイドのCPを快く引き受けてくれるし、とっておきのポイントをそっと教えてくれる。
 だから、賢治に魅せられて訪ねてくる人や口コミで関心を持っておしゃべりの茶飲みに来店する人々が賑わう時間帯は、意図的に外していくのが良い。迂闊な時間にたずねていくと、もっと迂闊な、夕暮れ間近に徒歩で登っていこうとする女学生を拾ってしまうこともあるので、そういったイレギュラーを避けるならば、閉店の1時間半ほど前にたどり着くくらいが、一番ふさわしいと思われる。いや、別に避けなくてもかまわないけれど、帰りを送っていかねばならないような気を遣うと、閉店後の目的が果たせなくなるのだ。
 とっぷりと日が暮れて、店がどれほどの山の中にあるのかどうかもわからなくなってから、軒先をあとにする。一度となりの集落に降りて、再び山へと分け入っていく。昔あったダートは残り僅かとなった林道を抜けて標高を上げていくと、森の中から稜線へと、夜空の色合いが見え始める。
 南さんから教えてもらった距離をぴたりと走り終えると、ヘアピンのコーナーのアウト側に、僅かな駐車スペースが切り開かれている。車を停めてコーナーを横切り、土手に登ると、小さな見晴台がある。そこはちょっとした夜景スポットだ。
 ほぼ関八州の夜景を眺めたあと、里へ下りるか、さらにナイトランを続けるかは、そのときの気分次第。こうして週末の漂流は、ときどき密かに行われている。