つくばーどの忘年会に参加し、北緯40度まで駆け上がり、西へ西へと帰路につくのだが、ただでは帰らないのがこの私、Cyber−K。まず、群馬のグランエスクードド乗り、Mr.ZUICOさん宅に立ち寄り、夕方には姫路でエスクードの忘年会に参加する。
 昼前に群馬に到着、Mr.ZUICOさんと無事に落ち合うことができた。Mr.ZUICOさんも羅須軽小僧に会うのは数年ぶりという。Mr.ZUICOさんの”城”であるガレージで羅須軽小僧とともに話し込んでると、時間もあっという間に過ぎてしまい、昼下がりにはお別れのと き。ひたすら西へグランドを走らせる。
 関西のエスクード乗りの方々にお会いしたときには、みなすでにできあがっていた。羅須軽小僧もあやうくビールを飲まされる、という一場面も。今夜はそこで泊まらせてもらい、次の日は朝から撮影大会。ここまで三代目が揃うとグランドも小っちゃく見える。
 姫路というともう一人、D.I.Yで素晴らしいグランドに仕上げている、ひろひろさんの本拠地でもある。ダメもとでアポを取ってみると快く会っていただけた。数時間、ひろひろさんとも楽しい会話をすることができた。しかしそれは、遠大な悪巧みのプロローグに過ぎない。

 東北の旅も終盤にさしかかった頃、しばらくお世話になった雷蔵さんとのお別れのときである。

「こいつを関西勢の忘年会まで連れて行ってくれ」

 雷蔵さんから預かったのはジャケットに身をまとい、サングラスをかけた羅須軽小僧だったのだ(笑)

 長かった東北の旅から、南国土佐に無事に帰ってきた。もちろん、この羅須軽小僧は初めて高知の地に入ることになる。
しかし、帰ってからというものの私が忙しくて羅須軽小僧をどこにも連れては行けず、ずっと私の家にこもったままだった。
 ようやく落ち着いたのは紅白歌合戦で盛り上がる大晦日。

「明日は高知の初日の出を見に行くぞ」

 と羅須軽小僧と約束をし、床に入る。
 2012年、元旦。午前5時に起床。羅須軽小僧とともに、高知随一(自分比)日の出スポットへグランドエスクードを走らせるが、今年は残念なことに雲がかかってしまい、きれいな初日の出とはならなかった。そういえば、つくばーど基地に雷蔵さんを送って行ったとき、娘のみぞれちゃんに、てるてる結界を作ってもらうのを忘れていた。
 雷蔵さんには「遊ばせないで、関西忘年会に参加するという用事がすんだらさっさと送り返せ」と指示されていたが、このまま帰してしまっては土佐の男の名折れとなる。
 それから数日、太平洋沿岸をドライブしながらでっかい鯨のオブジェを見に行ったり、名所の中の名所桂浜まで出かけて、坂本龍馬にも引き合わせた。

 「龍馬はこの広い太平洋をどういう思いで眺めているのだろう」

 小僧はそんなことをつぶやくような目をしているのだが、その表情はサングラスの奥に隠れて伺うことはできない。しかし、小僧の目に映ったものは、ひょっとすると遠く離れた雷蔵さんの脳裏に転送されているかもしれない。
 ということは、土佐のきれいどころを少しくらい見せておかないと、あとで小言を言われる可能性も大だ。きれいどころならば、ちょうど成人式の時期でもある。小僧には土佐の『はちきん』のところに連れて行くのが一番よかろう。

 はちきんとは、土佐の女性のことを言う。、「男勝りの女性」を指す土佐弁だが、今では高知県の女性の県民性だとも述べられる。つまり、弱音を吐かず生活力があり、魅力的で活発な女性。お転婆で「男勝り」の気質の総称だ。
 その由来は高知の女性には好かれていないので差し控えるが、土佐の女性は働き者の敏腕家ということなのだ。ほんとかどうかはともかく、隣県の愛媛では、嫁を貰うなら土佐からとまで言われる。
 というわけで訪れた場所は「成人式会場」(爆) しかしそこは小僧の知名度とこのいでたちである。

 「あらー、男前じゃー!」

 たちまちのもてっぷりは、龍馬もたじろぐばかり也。小僧、小僧と言われているが、実際にはスターリング・ノースがこいつを生み出したのが1963年のこと。な、なんと私よりも年上だったのだ。うーん、その渋味にはかなわないということかー。
 余談になるが、羅須軽小僧は龍馬像近くで小僧の分家の方と出会っている。夜明けを見に行きたいと切願する分家筋を連れて、小僧は遥かなるつくばーど基地へと帰って行った。

 レポート Cyber−Kさん
 協力 Mr.ZUICOさん、ひろひろさん、のまどんさんと関西のエスクードユーザーさん。
 特別出演 土佐の某娘さん。