弘前 青森の小旅行
 夜が明ける頃に五能線の駅前にたどり着き、かつて宿屋としても使われていた文学者の生家を外観だけ見学して、リンゴの生産高トップクラスという果樹園地帯を移動する。
 これが何年かあとに、どれだけ役に立つ自主学習になっているのかは見当もつきません。もっとゆっくりとした時間で見に行かなければ、記憶にだって残らないですね。きまぐれな旅行につきあわされた子供たちには、迷惑な話です。
 弘前は、県都ではないけれど、思っていたより大きな街だった。津軽藩と、城の街が、小京都と言わしめる。小京都と言っても、それはきっと、城下の特定のエリアを示すのだろうと感じながら、外へ外へと広がっていく街と道の縫い目を散策していました。子供たちには、藩政時代や近代化の歩みよりも、ねぷたの不思議な陰影や、独楽細工の緻密さと不思議な動きの方が楽しかったようです。やつらのレポートは、いずれclubhouseにて。
 宿泊地となった青森市。ダウンタウンに入り込むのは、十数年ぶりです。その頃既に、感じていたこと。十数年をさらに遡り、親に連れてこられた初めてのときを記憶の底から絞り出して、数十年前との照合で面食らうばかり。青函連絡船が無くなってから、青森の街はなんとなくひっそりとしたのでしょうか?
 でも、青森の語源となった青い森の逸話(現在は無くなっているが、実在した)と、それよりも太古の集落の跡が、この地が豊かな土地であったことを伝えているんですね。復元された物見櫓の巨大さと、それが発掘された遺構をみて、子供たちは自らの知識で天狗の森のログハウスと比較したらしく、ログハウスなど小屋でしかないのかと驚いていました。
 あ、自主学習になっているね。
 いずれにしても、リアシートで遊びながらの旅には、700kmという距離の実感は得られないでしょう。そのうち、自分たちの移動手段で、ここを訪ねていく日まで、なぞなぞのヒントを与えていくことが、この旅行の目的でもあります。