つくばーど in 岩手横断漂流紀行
おおむね北緯40度の往路と復路
 盛岡市郊外の高台に、午前7時に到着する。この読みがいきなり外れ、岩手山には早くも雲がかかってしまっていた。この日に限って言えば、あと30分前倒ししておくべきだったようだ。
 これは、今日の予定に組み込んだ早坂高原も、眺望に関しては期待薄という判断材料になってしまうのだ。
 玉山牧場内の舗装道路は、そのまま岩洞ダムのダム湖沿いに伸びている。ダム建設のあと、別荘地やキャンプ場などの整備が行われたため、ダム湖に面したフラットダートはよく整備された砂利道だ。このルートは移動のためにだけ使い、時折現れる枝線の方を探検に訪ねる。
 それでも9時前にはダム湖の国道側に抜けてしまう。そしてこのあたりまでは青空なのだが、小本街道を下っていくと海から入り込んだ雲が800メートルほど上を閉ざしている。

 国道を離れて早坂高原に向かって登り始めると、案の定、雨。その高度も越えて1000メートルに達すると、濃霧だ。岩手県東部の高原は、得てして沿岸の大気と内陸の大気がぶつかるところで、こうなることが多い季節でもある。
 本来なら広大な放牧地と、巨大な風力発電装置が出迎えるはずだったが、その風車すら見えない。せめてもの救いは、近年、この風車の林立する風景が嫌いになっていたため、それを見なくて済むということだ。
 しかし、震災以降、電力供給源として株を上げている風力発電は、今後も稜線上の景観を大義名分の下に壊し続けていくのだろう。
 早坂高原の林道は、葛巻町や岩泉町へ縦走するルートと、高原を周回して小本街道方面への国道へ抜けるルートがある。天候が悪いことや、仕事先への合流時間を考えると、長丁場となる縦走ルートは諦めなくてはならない。
 それでも国道まで20キロはダートなのよ、と思って下って行ったら、後半の13キロ近くが舗装化されていた。いつの記憶を頼りにしていたのだ?

 小本街道を沿岸へと進み、田野畑村へは国道45号線で北上する。目的地の島越へは国道も外れて、海沿いの地方道を移動する。そこかしこに津波で破壊された防波堤の残骸や、三陸鉄道の跡が現れる。三陸鉄道は修復が始まっており、来年の春には釜石付近、再来年春には田野畑までの全線が復旧するという。
 仕事を済ませて、久しぶりに黒崎灯台の40度線モニュメントまで行ってみた。転勤直後の被災で、ここへ来ることができなかったからだが、このあと久慈市の客先に立ち寄ることもあり、普代村の防波堤の様子も見てくるついでのことだ。
 久慈からは国道281号線で帰路につく。この国道が、全線ではないけれどほぼ北緯40度線上を走っている。謎の生物のモニュメントや、その生物とは全く別の謎の卵が飾られた街道。峠を登っていくと平庭高原の交差点に出るが、もう17時近く。岩泉方面への林道アプローチは断念し、直進して葛巻町から岩手町を目指す。
 田野畑、普代まで、仙台から約300キロ。秋田へ行くよりも遠いが、それに見合ったおもしろさが散りばめられている。