つくばーどin逆襲の猪苗代

2003年10月5日午後

2003年3月に、菜の花の咲く堤防の上で300000kmの大台に乗ったらすかる。
紅葉の始まる福島県の猪苗代町から郡山市へ抜ける「三河小田川林道(郡山側)」において、
積算走行距離333333kmを刻みました。
2000年春に「つくばーどin猪苗代」を開き、道路をふさいだ雪崩の跡で敗退した林道です。
当時と比べると、荒れていた猪苗代側はかなり修繕され、
開通の頃と同じようなフラットダートとなっていました。
郡山側は舗装化が進んでいますが、ダート区間はまだ健在です。
周辺の山では初冠雪があったと、給油のときにスタンドの人が言っていました。
南の端とは言っても、東北ですね。



 起き抜け(ほんとは徹夜明け)の青空に負けて、ついふらふらと出かけてしまいました。
 いやその、ラーメン食いたかったんです。
 猪苗代の中ノ沢温泉に、うまいラーメンを作る食堂があるのです。
 それを食いに出かけた。というのは、やっぱり口実ですかね。
 もう時効(たぶん)なので書いてしまおう。
 この日はClubESの林道ツーリングイベントが埼玉県の秩父方面で行われていました。
 連絡の手違いで、置いてけぼりとなってしまったのが、この日の僕。
 追いかけようとも間に合うはずもなく、
「ええいこの恨み晴らさずにおくべきかっ」←超誇大表現
 とばかりに走り出し、
「怒ったらおなかが空くぢゃないですか?」←やや本音
 ということで、
「そうだ、こんなときは小西食堂のスタミナラーメンだ」←的確な判断
 と、あいなった次第です。

 猪苗代の紅葉は、桜の開花にたとえれば二分程度の色づきでした。
 稲刈りは最盛期。紅葉よりもコスモス日和という街道沿いの風景で、しかし牧場のそばを通ると青々とした牧草と空で、どこかにまだ夏が居残っているかのようでした。
 ところが地元の人と話していたら、三河小田川林道のある山にはもう初冠雪があったという。
 標高では1200mくらいまで登る林道ですから、そのくらいの変化はあるのでしょう。
 実際には雪はまったくありませんでした。
 そして面白いのは、初冠雪をニュースのように話してくれたおばさんのいるガソリンスタンドは、郡山市。山を越えて猪苗代でラーメンをすすった食堂のおばちゃんは、
「今日はあったかいわ」
 浜通りと中通りの季節の感じ方の違いなのですね。

 2000年5月の「つくばーどin猪苗代ツーリング」で、いくつかの雪崩と雪壁をすり抜けて上がってきたものの、ここはどうにも越えられないというギブアップを喫しました。
 らすかるは当時、まだあーまーど装備すら完了していませんでした。
 聞けばこの林道の猪苗代側頂上付近は、6月末でも雪の塊で道がふさがっているということです。言われてみれば、真夏と秋にしか来たことがなかったよ。
 今回はそのポイントを難なく通過し、1キロほど進んだところにある、広域基幹林道開通の記念碑に。猪苗代側には磐梯山がわずかに見えており、郡山側は郡山市の市街地を見下ろすことができるビューポイントで、逆襲を果たしました。
 
 

 雪がなければ、現在の路面状況ならばロードスター(例えに引用。ただしノーマル車高)でも上がれるくらい、走りやすいグラベルになっていました。
 しかし昭和30年代あたりに、地方でスポーツカーに乗っていた人は、この程度の道はものともせずに上り下りしていたんじゃなかろうか?
実際僕は、1600ccのエスクードでここを走ったときに、峠の頂上でNA型のロードスターと出会っています。林道の開通が91年度で、その翌年に初めて走ったときのことですから、ロードスターも新品に近かったでしょうね。
 紅葉の写真を取りに来ていたビッグホーンに乗るおじさんが峠の手前にクルマを停めていました。
「猪苗代から上がってきたの? 郡山から入ってきたんだけれど、この先工事中で通行止めって看板があったんですが」
 そうたずねられて、道の様子を説明すると、おじさんは安心したようです。
「今日はちょっと早すぎたかな。でも来週になると、遅いかもしれないなあ。猪苗代や磐梯山よりも、この辺は秋が短いね」
「好きなときに来られないのは辛いですよね」
 そんな対話をしているうちに、日が傾き始めていきます。
 僕は峠を郡山側へ下り、“その瞬間”を迎えることになりました。

 300000kmを刻んでから、ここまで走るのに約半年かかりました。
 ということは、2004年の1〜2月ごろにかけて、35万kmを越えることになるのか?