《帝国の謀略》

 犯罪シンジケート・スコーピオンが最も怖れた存在。その姿を微塵も見せることなく、ただ一人の怪盗を支える、影の存在。これは、ルパン帝国の片鱗が見られる、最初のエピソードだ。

 1970年のF1シーズンは、長く低迷していたフェラーリの反撃のシーズンであった。新たに開発された水平対向12気筒エンジン、312Bの活躍である。
 60年代の基本設計を引き継いだ当初のV12は時代遅れとなり、期待とは裏腹にレプコやコスワースの敵ではなかった。、チーフ・エンジニアであり、レーシング・マネジャーを勤めていたマウロ・フォルギェーリは、68年シーズンの幕引きを機に、全く新しいエンジンの開発に着手する。それが312Bであった。
 跳ね馬は70年シーズン13戦のうち、4戦を勝ち取る。ワールドタイトルはロータス72に奪われているものの、60年代後半のコンストラクターズポジションを大きく前進させた。312BとTによるワールドタイトル獲得は、さらに1975年まで待たねばならないが、このエンジンを搭載したマシンは、世界中が注目した。そして、影の帝国もまた、同様に。


 1971年10月24日、東洋最大級の国際規格サーキットとして、飛騨スピードウエイがグランドオープンした。その記念レースは、フォーミュラマシンによる本格的なイベントであったが、同シーズンのF1サーカスは、既に10月3日のアメリカGPをもって終了しており、あくまでエキシビジョン・レースとして企画されていた。
 しかもその企画自体が、社会の目を欺く陰謀であった。この当時、日本におけるF1の知名度がそれほど高くなかったことや、日本レーシング連盟という不可思議な団体を利用する犯罪シンジケート・スコーピオンの大胆かつ巧妙な仕掛けによって、事は何の疑問もなくレース開催に至った。
 5年の歳月と、当時50億の巨費を投じて建設された飛騨スピードウエイには、ジャッキー・スチュワート、デニス・フルム、ベルトワーズ、ジョン・サーティスなどの名だたるドライバーと共にフォード・タイレル、マクラーレン、マトラ・シムカ、ロータスといったコンストラクターが集結した。
 しかしそれらの全てがフェイクであることを見抜いていた男がいた。



 実は、このレースにおいて唯一、本物のマシンを用意しつつ、本物のチームとして出走していなかったのが、フェラーリであった。
 フェラーリ312Bだけは、スコーピオンの仕立てではなく、フェラーリ自身からその男に提供されたものである。このレースに、日本レーシング連盟の名で招待されていた“彼”は、“彼自身”が背後に持つ“帝国”のバックアップを受け、フェラーリのマシン貸与を受けていた。フェラーリ以外のマシンに関しては、“彼”曰く「どのマシンも音を聞けばわかる。全てスコーピオン系列のメーカー」による偽物だと言われている。
 スコーピオンは、その組織力の全てを賭けてでも、自らの商売敵を叩き潰す野心に燃えていた。その男1人を葬ることが出来れば、いかに帝国とは言えども、シンボルのいないライバルを根絶やしにすることは可能だと考えていたのである。
 “彼”は、その術中に自ら飛び込んだ。



※ エピソードはフィクションですが、マシンが実在のものであるため、REALIZEに加えてあります。