《今さら何を解説する必要もない 世界が受け入れた一台》 アドルフ・ヒトラーは、独裁政治家として国際的な悪者扱いの人物だが、自動車というツールの将来性を見いだし、自動車産業への政治的な援助を惜しまなかったという側面を持っている。フォルクスワーゲンは、その一つの成果だと言われる。 同社の乗用車・タイプ1は、ヒトラーが開発を命じた、大衆車の理想型を目指したものだ。フォルクスワーゲンという言葉は造語であり、volksには「国民」、wagenには「自動車」という語意が込められている。設計を担当した人物、フェルディナンド・ポルシェ博士は、自動車関係企業を転々としているなかを、ヒトラーに拾われた。 タイプ1は、あまりにも有名な「ビートル」の愛称で、世界的に親しまれている。どこぞのレディが「まるで甲虫のようだわ」と言ったというエピソードが、ビートルの名の由来の定説だが、試作段階で既に、コフキコガネ「Mai Kafer」と呼ばれていたそうだ。 ヒトラーはある意味、タイプ1を世に送り出した時点で、世界中の人々の心をつかんでいたとも考えられる。人の運命というものは、皮肉なすれ違いを垣間見せる。本来の計画であった理想の大衆車は、第二次世界大戦の勃発を機に、軍事目的のための車へと変更を余儀なくされた。キューベルワーゲンや、水陸両用車シュビムワーゲンの開発につながる。 |