BATTLE‐HOPPERはHONDAが60年代末に産み落としたCB750FOURの系譜である車体が基となっているようだ。
しかしここに些細な疑問が生じる。光太郎はゴルゴムに身を寄せていた70年代、このバイクに乗っていたのだが、細部を観察していくと、RAJAY INDUSTRIES,INC.と刻印されたターボチャージャー、放熱穴の無いフロントディスク、ホイールデザインなどから、この車体は80年に登場した欧州仕様のCB750Fではないかと推測できるからだ。
だがまさに些細な疑問であり、当時各界に浸透し始めていたゴルゴムが、二輪メーカーで開発段階の車体乃至エンジンその他のパーツを市販より前に調達することは雑作も無かったのだろう。
むしろ、どのようなスタッフがゴルゴム内に所在し、どれだけのスペックをこの車体に与えたかの方が大きな謎だ。
半世紀もの時を超えて、再び戦いの道を選んだ光太郎は、世紀王の器を持つとしても年老いていた。その彼にとって、往時のままの姿であるBATTLE‐HOPPERは唯一無二の戦友なのだ。
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