《いわゆる量産車》

 大量発生型相変異バッタオーグが扱うサイクロンは、外見を見た限りではバッタオーグ第1、第2号のものとの差異はないようだ。
 つまり基本性能は同格と思われるが、それぞれのサイクロン自体にスペックが謎という壁があるため、いわゆるショッカー謹製・正真正銘ショッカーサイクロンもまた、性能不明と分析せざるを得ない。
 ただ、第1、第2号のサイクロンに刻印されている核反応用物質補給口のマークがショッカーサイクロンには見当たらない。先の2体と大量発生型を製造したチームは異なると言われている。ショッカー内でこうした派閥か縦割りの組織運用上、各技術の情報共有が行われていたかどうかは怪しいところがあり、大量発生型を作ったチームにはサイクロンの基本設計はあっても細部の、こと反応炉に関する技術を扱える情報が無かったのかもしれない。

   

 動力源のことはさておき、 このマシンを容易く量産できるところがショッカーの底の知れない部分だが、バッタオーグに関しては大量発生型というコンセプトと、実戦運用に関する認識度の過ちが垣間見えた。
 元々ライディングセンスを持っていた第1号、その能力をさらにカスタマイズされた第2号は、単体での戦闘力をサイクロンにも応用できていた。さらに彼らは思想・信念を根底とした共有意識を覚醒させ、優れたコンビネーションも発揮している。
 対する大量発生型は、一見、多勢の共通行動をどれかの個体が統率するように思えるが、それは裏を返せば、他の個体には追随能力はあっても咄嗟の瞬間的判断と反射運動にまで身体が追い付かないとも考えられる。
 マシンセッティングはそれこそ個々のバッタオーグのパーソナリティに併せて行うことが理想だ。しかし大量発生型の平準化された性能、群体として同一能力を発揮できると思い込んだところに運用のほころびが生じたのではないか。
 忠実な尖兵としての合理性が優先され、個体同士の臨機応変さを欠いたが故に、マシン同様単なる量産でしかなくなってしまい、サイクロンの卓越した性能も封じられてしまった。

※この分析はつくばーど®オリジナルのものです。