|
プライベートビルダーのポップス・レーサーが、最初のレースマシン「マッハ1」を開発した経緯はあまり知られていないが、後に彼と対立する巨大企業のトップ、ローヤルトンをして「あれはレースマシンというより、芸術作品だった」と言わしめる秀作であったらしい。
ポップス・レーサーはこのマシンをスタートに、息子のレックス・レーサーをレーシングドライバーとして育て上げ、次々と「マッハシリーズ」を世に送り出していく。
その中で、レックスが最後にパイロットしたマシンが、「マッハ4」と呼ばれる深紅のレーサーである。残念ながらスペックの詳細は不明だが、ローカルサーキットの中でも有名なサンダーヘッド・レースウエイで樹立された記録は、10年間破られていない。
レックス・レーサーはその後、さる事情でレーサー家を出奔し、カーサ・クリスト・ロードラリーの出走中に事故死したと言われている。レックスがファミリーから離れた頃、弟のスピード・レーサーはまだ小学生。スピード自身もレックスに抱きかかえられてマッハ4のステアリング操作をした経験を持つが、スピードがサンダーヘッド・レースウエイにデビューする頃には、ポップスの芸術作品はマッハ6へと進化していく。マッハ6によってコースレコードを塗り替えようとするスピードの横に、瞬時、マッハ4を駆るレックスの幻影が浮かび上がるのであった。
|
|