《マットビハイクル》

 マツダは広島のコルク栓製造業、東洋コルク商会(1920年)に端を発します。ここに松田重次郎と
いう安芸郡の機械製造会社で働いていたエンジニアがスカウトされてから、削岩機製造を経て、オート3輪、そして4輪車に発展し現在に至ります。社名は後に東洋トルク工業、そして東洋工業、マツダへと変わりました。
 マツダの自動車業界への功績は大きく2つあります。ひとつは昭和30年代のオートマチックトランス
ミッション(AT)のパイオニアであるという顔です。この時代のATは、スポーツカー専業メーカーの
岡村製作所(ミカサのブランドで有名だった)とマツダの2社が両雄でしたが、岡村は後に自動車製造用のプレス機械の転用で始めたスチール家具が軌道に乗り、今やオフィス家具メーカー・オカムラとして不動の地位を築いています。
 もうひとつの大きな功績がロータリーエンジンです。ロータリーエンジンの市販化に成功したのは、4
輪でマツダ、2輪でスズキの2社だけ。マツダは1960年頃に、ロータリーの生みの親、旧西ドイツの
フェリック・バンケル博士と技術提携して7年後に、このエンジンを搭載する専用車としてコスモスポー
ツを誕生させました。
 L10Aと呼ばれるエンジンは最高出力110PS/7,000rpm、最大トルク13.3kg−m/3,500rpmでデビュー、翌年には128PS/7,000rpmの14.2kg−m/5,000rpmにパワーアップしています。960kgという軽量な車体も幸いし、185km/hの最高速と、16.3秒の0〜400m加速を誇ったものです。
 価格は148万円、累計で1176台が作られたそうです。
 以上、嵐田の友人、田中邦彦さんのコスモスポーツに関する紹介でした。
 そのうちの数台が、国連所属の怪獣攻撃隊・MATに採用されたパトロール専用車、マットビハイクル
なのです。
 マットビハイクルは、フロントバンパー下のエアインテークや、フロントフェンダーのマーカーレンズ
形状から、マイナーチェンジしたL10B型コスモスポーツと思われます。
 また、マットビハイクル自体が、リアのウイング状スタビライザーを持たない前期型と、スタビライザ
ーを装着した後期型、そして前期型ベースで迷彩塗装を施した野戦仕様の3種類が確認されています。
 MATにはマットジープという野戦車輌も存在するのですが、コスモスポーツを迷彩化してしまうのも
とんでもないし、さらには屋根にロケットランチャーを装備するという無茶もしています。
 小排気量・ハイパワーというロータリーエンジンの開発、実用化には、ひょっとすると「専用発動機」
という意味合いが隠されているから、今なお世界唯一のマツダの顔なのではないでしょうか。
 マツダは最近まで削岩機械を製造していたそうですから、科学特捜隊のペルシダーやウルトラ警備隊のマグマライザーなどの開発にも技術提供があったかもしれません。その縁で、国産の地球防衛パトロール車輌としてビハイクルが開発され、その市販車バージョンとしてコスモスポーツが先行して登場、実用試験を経てMATへ配備された・・・・のかもしれませんね。