《LANCIA》

 イタリアのスポーツカラーというと、誰でも赤を連想しますが、イタリアンカラーとしてのナショナルカラーについては、イタリア人はブルーを示すそうです。だからといって、空の青をこじつけるのはボキャブラリィの貧困さを露呈してしまいますが、空と言えばアリタリア航空。アリタリアといえば、ランチァ(って決めつけて良いのか?)というわけで、ランチァと空とくれば、たいていの人はストラトスでしょう。
 ストラトス(Stratosfia)というのは、まさに成層圏という言葉です。
 スチールブロックとはいえ、フェラーリディノ246GTと同じV6エンジンのミドシップ(ディノはアルミブロック)。ベルトーネデザインの強烈なボディラインは、ある意味フェラーリ以上にイタリアンスポーツを彷彿とさせます。WRCでは73〜75年の3連覇を成し遂げ、ホモロゲーションモデルはわずか500台というスーパーカーでした。
 えー、「だからなんだ」というのが本音でして、嵐田がこよなく愛するランチァは、このあとに登場したベータ・モンテカルロなのです。残念ながら、紹介しているのは市販車バージョンではなく、アリタリアカラーの方が79年のイタリア一周レースで、ジル・ビルヌーブ(ジャックの父ちゃん)がドライブした競技車両。ゼブラカラーの方が同年にシルバーストーンサーキットでリカルド・パトレーセがドライブした競技車両すが、ベータ・モンテカルロの市販タイプは、ランチァ製量販車初のミドシップ。エンジンは直4ツインカムの2リッターで平凡ですが、今なお「乗りたい、ほしい」クルマの最右翼です。デザインはピニンファリーナ。
 このクルマは、後にWRCグループBを戦う037ラリーへと進化します。しかし037ラリーが活躍した時代は、WRCカーも4WDへと変遷しており、038ラリーことデルタS4へと道を譲ることになります。

 037ラリーは、シルエットだけで言えば、レース仕様のボディをまとったモンテカルロよりも、モンテカルロの市販バージョンに近いかも。紹介しているゼッケン5は84年のツール・ド・コルス参戦モデル。アレン、キヴィマキの乗機です。