《サーキット・メモリー》

 GPライダー保柳弓彦と異母兄姉のトップアイドル歌手・梨羽五月香。どちらかがマスコミを牛耳る板妻グループの後継者の血をひいているという。巨大な権力の相続者という噂が流れはじめた矢先、弓彦に「二十年前の秘密に関して話がしたい」と耳打ちしたチームメイトの西寺が殺された・・・
 「サーキット・メモリー」とは、1986年に角川ノベルズから出版された、森雅裕のミステリー小説です。オートバイレース、芸能界、出生の秘密、殺人事件と権力の相続話。異質なミステリーであり、推理小説というより、りっぱにバイク小説として読み応えのあるこの物語は、独特の会話とそのテンポや登場人物の人間くささに魅力があるのです。そして、殺人事件が一応の解決を見たところでストーリィは完結せず、登場人物達をサーキットへ引き戻し、レースのエピソードに物語の本流をとけ込ませて大団円に持ち込むという、確信犯のような演出が泣かせるのです。
 物語に登場する、弓彦が駆るレースマシンが、『NASHIBA NR500』(笑)。梨羽技研工業が開発した楕円ピストンとシリンダーを持つ独特なエンジンのオートバイです。シリンダー、ピストンは真円であるという常識を覆すこの構造は、2サイクル主流のWGPに対して、4サイクルエンジンでの挑戦を形にしたもの、といっていいでしょう。軽量・高回転・高出力の最適なエンジンといえば、吸排気バルブの要らない2スト。しかし低回転でのトルクは出ない。4ストは吸気・圧縮・燃焼・排気の行程ロスなど、馬力を出す=エンジン回転を上げる上で2ストに対してハンデを背負っていたのです。
 これを克服するため楕円ピストンが採用され、1気筒あたり8バルブというとてつもないメカニズムが生み出され、20000回転で130馬力もの出力を絞り出すエンジンが生まれたのです。
 そのマシンが、NASHIBA NRのモデルとなった『HONDA NR500』でしたが、1979〜82年のわずか4年間で姿を消します。ポイントが取れなかったこと、材質の問題による熱膨張トラブルなども抱え、とどめにはレギュレーションとして楕円ピストンの仕様が禁じられたこともあります。
 NRが再起するのは1987年。NR750としてル・マン24時間耐久、オーストラリアでのスワン・シリーズに出走し、92年に『HONDA NR』の名称で市販化されました。

 それにしても、森氏の「サーキット・メモリー」は面白い。一読を、とすすめたいのに、絶版なのです。