《千年の記録 銀狼の記憶 》
 来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ・・・か」

 大神月麿が口ずさんだのは、藤原定家が自ら詠み、編纂に加えた小倉百人一首の一編だ。
 藤原定家の時代は、月麿がオルグの百鬼丸を倒し、その際に用いた「闇狼の面」の悪影響を畏れて封印されたあとのことだが、実は定家は、彼もまた記録でしか知らない過去の出来事を別の文書に記しており、その出来事を、月麿自身が体験していたという、不思議な縁があった。

 定家は1180年から1235年頃にわたって『明月記』という日記を書き記している。この時代、日記とは公家が子孫に対して公事故実や家職家学の知識を伝えることを目的に編纂するものだが、超新星爆発の記述は“体験に基づかない逸話”の部類に属する。
 定家がなにゆえ、彼が生まれる100年以上前の出来事までを記録に残したかの理由は、明月記から読み取ることは出来ない。だが明月記には143もの天文に関する記述があり、それらは陰陽道の学者である安倍泰俊から聴き取った情報だといわれている。安倍泰俊は定家に対して、天変を知らせ、その吉凶を告げていたものと思われる。
 明月記には8例の客星(主に彗星を示す)という記述があり、1006年のおおかみ座超新星、1054年の蟹星雲超新星爆発、1181年のカシオペア座超新星などが記されている。

 皇極天皇元年秋七月甲寅(642年8月9日)、客星八(入)月。
 陽成院・貞観十九年正月二十五日丁酉(877年2月11日)、戌時、客星在辟(壁)、見西方。
 宇多天皇・寛平三年三月二十九日己卯(891年5月11日)、亥時、客星在東成(咸)星東方、相去一寸所。
 醍醐天皇・延長八年五月以後七月以前(930年6月〜7月)、客星入羽林中。
 
一條院・寛弘三年四月二日癸酉(1006年5月1日)夜以降、騎官中有大客星、如?惑。光明動耀。連夜正見南方。或云、騎陣将軍星変、本体増光歟。
 後冷泉院・天喜二年四(五)月中旬(1054年5月20日〜29日あるいは6月19日〜28日)、以後丑時、客星出觜・参度。見東方。孛天関星。大如歳星。
 二條院・永万二年四(三)月二十二日乙丑(1166年4月23日)、亥時、客星彗見大微宮事(中)
 高倉院・治承五年六月二十五日庚午(1181年8月7日)、戌時、客星見北方。近王良星、守伝舎星。


 おおかみ座超新星爆発は、歴史上最も明るく輝いたものだ。昼でも地上に影を落とすほどの輝きであったと伝えられている。まさにシロガネが封印される際に用いられた宇宙規模のガオソウルではなかったかと推測されるが、そこまでの想像は明月記とはかけ離れることを断った上で、物語を解き明かすなら、こうだ。
 おおかみ座超新星の光は、闇狼の仮面によって彼の魂をむしばむ鬼の力に一矢を報いるよう作用し、いつか封印から解き放たれたあと、邪気が彼を惑わそうとも、やがてガオの戦士として目覚めることを運命づけた・・・
 この一部始終を見届けていたパワーアニマル、ガオウルフは、未来において覚醒する月麿のために、狼族が滅び去るなか自らの肉体を超新星の力とガオソウルによって造り替え、獣の姿と機械の姿を共有する形で生きながらえていった。その機械の姿が、ウルフローダーではないかと思われる。
 明月記には、ガオの戦士に関する記述はない。この日記を読み解き、1000年前の真実を理解できるのは、ガオシルバーとして覚醒した月麿と、ガオウルフだけなのである。

※お断り 百獣戦隊ガオレンジャーの世界観にこのような設定はありません。
 いつものことながら、つくばーどオリジナル解釈です。ガオシルバー役の玉山鉄二さんは、高校卒業時のエピソードとして百人一首を丸暗記したという逸話がベースとなっています。