飛騨古川 高山をそぞろ歩き
の日本の街並みに出会う
 霰と霙がNHKの「世界ふれあい歩き」を見ながら、

 
「こんな街並みはこの近くにはないよなー」
 
「なんで日本ではこういう街がないんだろうね」

 
などと言っていたのが、駆け足の旅の始まり。やつらは南フランス、エクス・アン・プロヴァンスの石畳と街路樹と、基本的に石造りの街並みに目を奪われていた。

 
「ヨーロッパと違って、日本の古い家や町並みは木造建築だから、震災や戦争で焼けてしまったり、町自体が再開発されると、どんどん新建材と近代建築に変わってしまう。手間暇をかけて・・・維持して住むのも大変なんだけれど、街並みを保存しているところもある。それを見に行くなら、今の季節の方がいいかもな」

 こうしていつものごとく一瞬で決めることを決め、沖縄だ京都だ奈良だという、そんなのいきなりは無理ですと却下して出かけたのが岐阜県(早朝の松本市はリポート的には割愛)。安房峠を越えて栃尾温泉を横目で見ながら、まずは飛騨市の神岡の道の駅にたどり着く。

 「スーパーカミオカンデの見学!」
 「は、許可が下りないのでレプリカの見物」
 「道の駅にそんなのがあるんだ?」
 「まあ、ニュートリノというのはそこいらじゅうに降り注いでるし」
 「ニュートリノを見られるですか」

 (すいません。朝から間抜けな会話をやってます)

 飛騨市に併合された神岡の町は、奈良時代にはじまり今世紀に入るまで亜鉛や鉛、銀を採掘していた鉱山都市。イタイイタイ病という公害訴訟の源となりながらも、鉱山跡に東大のニュートリノ観測装置・カミオカンデやスーパーカミオカンデが建設された経緯には、廃坑を利用できるだけでなく、観測装置内を満たす膨大な量の純粋を調達するうえで、鉱山地帯の湧水の豊富さが求められたから。
 「言ってみれば、飛騨の山間は、エクスとは違った意味で、水の町なのだよ。だから神岡には飛騨娘なんていう清酒がある」
 
とりあえず物理と歴史の話を説明し、古川の町へと移動する。古川もまた蓬莱や白真弓といった清酒の産地。白壁蔵造りの酒造場が建ち並び、建物に沿って瀬戸川用水が流れていく。
 もとは城の堀から水田へ水をひくために築造された。30年か40年前には、洗濯や野菜洗いにも利用され、今なお防火用水や流雪用の溝として活用され、古川の顔となっている。酒造と言い、水の町という喩はまんざらでもないはず。
 和ろうそくの生産でも知られている古川だが、娘らはろうそく作りの体験工房よりも、この白壁の家並みと瀬戸用水が気に入ったらしく、なかなか歩を進めようとしない。
 仕方がないので、地産の牛乳で作られるソフトクリームの話題をちらつかせ、涼みに行く。ソフトクリームは濃厚な味わい。ただし炎天下ではあっという間に溶け始める。硬めが好みならば、もなかアイスを選ぶと良い。コーヒー味のもなかアイスはなかなかの逸品だし、もなかアイスにはちょっと面白い食べ方がある。
 高山市へは昼時に入り、飛騨牛のステーキを求めて「鳩谷」を訪ねる。うかつにも要予約の店とは知らずに暖簾をくぐってしまったが、「かまいませんよ、部屋を用意しますので少しお待ちください」と丁寧にもてなしてくれた。