陸奥から再び、常陸へ
椅子のあった場所
 福島県いわき市は、化石を掘りに連れて行ってもらったところでした。昭和40年代は、僕にとってはフラガールの逸話となった常磐ハワイアンセンターの誕生よりも、フタバスズキリュウ(現在名:フタバサウルス・スズキイ)の化石発見という出来事が、いわきを結びつけるキーワードでした。
 フタバスズキリュウは、白亜紀後期(約8500万年前)に日本近海に生息していた首長竜。1968年、日本国内で初めて発見された首長竜で、昨年(2006年)新属新種として正式に記載されました。模式標本は国立科学博物館に保管されており、地元には化石のレプリカが展示されています。
 発見者は、当時高校生だった鈴木直さん。僕は小学生でしたが、この発見に憧れて、真似てみたわけです。が、さんざんノジュールを割って、小さなアンモナイトの化石を見つけるにとどまりました。そんなに簡単に、恐竜の骨は見つかるモノじゃありません。
 それらの化石類と、常磐炭鉱の歴史を見学できるのが、いわき市石炭・化石館
 実は、あられは化石に興味はないものの、鉱物フリークなのです。もちろん石炭はその視野には入っていないようですが、レパートリーを増やすという意味で、地下600mの坑道(これはなかなか面白い演出)へ降り立ち、炭鉱の歴史を見て回ります。
 「石炭って輝いているんだ! でもこの岩塩にもさわってみたいー」
 「も、持って帰るんじゃないぞ!」

 みぞれは、フラガールを観ているため、同館に展示コーナーのあるフラガール撮影小道具類に関心がありました。日本アカデミーショーなど各賞の受賞トロフィー(借りてきたのか? レプリカか?)や衣装はケースの中でしたが、飲み屋のシーンに出てくる椅子が、そのまま置かれている。こういうものにピンと来るところは、化石(僕)→鉱物好きのあられと同様、どうでもいいもの(僕)→へんなもの好きのみぞれ、というDNAの発現です。
 「この椅子が映画の中に出ていたやつって書いてある」
 「それじゃあ、この椅子がどこにあったものかを、あとで探検に行こう」

 どこかいい加減な社会科見学は好評に終わり、女性陣のリクエストで海産物産センターに立ち寄って買い物三昧のあと、一路東北から関東へと南下・・・といっても、30分で県境。常陸の国と奥州を遮っていた勿来の関跡を見学します。が、ちょうど歴史公園整備が完了したところで、かつてのうらぶれた遺構はこざっぱりとした観光資源に生まれ変わろうとしていました。和泉式部や松尾芭蕉、斎藤茂吉など14の句碑が昔からあるのだけれど、その解説プレートは序幕前で読めず。

 関跡のある山を下りて国道6号に戻れば、福島県から茨城県。さらに30分ほどで高萩の街へとたどり着きます。この街も、隣接する北茨城市と共に常磐炭鉱と関わりがあり、明治中期以降は、高萩炭鉱、櫛形炭鉱などの鉱山がありました。70年代以降は木材加工・パルプ加工等に移行しましたが、これらも一時代を過ぎた感があります。
 町なかにひっそりとたたずむ蕎麦屋「うらじ」は、フラガールの劇中、ダンサーの平山まどかと炭鉱夫の洋二郎が対話する飲み屋として登場します。
 石炭・化石館に展示されていた椅子は、まどかの背中を写すカメラアングルの確保のために、谷川洋二郎の右隣に作り出された空席の椅子でした。もちろんお店のその場所には、新しい椅子が置かれています(あられの席がまどか、みぞれが座っているのが洋二郎の位置)

 「映画観て来たって、電車に乗って食べに来る人が増えたよー」

 とは、お店のおばちゃんの談。確かに、日曜日の食事時を過ぎても、お客が絶えません(写真撮るのにけっこう待った)
 それはロケ地効果だけではないのです。うらじの料理(献立は蕎麦類主体でうどんは無し。丼モノは天麩羅、かつ、親子、玉子のみ)はとにかくボリュームがすごい。大盛りは、通常なら頼む必要ありません。
 その盛りのカツ丼を完食するあられもみぞれも、れいんさんのアイアンストマック譲り。なにしろこのあと、EレイドCPにて、ヒントとなっているソフトクリームも平らげております。こうして春休み最初の週末は、向学心にも胃袋にも充実したものとなりました。