2024年12月25日、950000キロを刻んだ。
 近況としては冬支度を行った程度だが、いよいよファイナルトラックが迫ってきた。

 11月から2か月弱で10000キロというペースは、以前だったら驚異的とは言わなかった。
 しかしこの年式でこの走行距離。無理強いをしているのは事実だ。
 関八州はもとより山形県、宮城県と遠出が続き、2024年末までに950000キロに届かせたいという目標は叶った。
 残すところ12か月で50000キロ。これだけやってもボーダーラインぎりぎりのところにいる。
 この数日前、各部点検とオイル交換、ATF交換、スタッドレスタイヤへの換装を済ませており、エンジンオイルを除けば最後の冬支度になる。実は10月にオールドマン・エミューとランチョのショックアブソーバも調達しているのだが、足回りの現状は良好としてよほどのことがなければ取り付けはせず、Ω用に保管することにした。
 このエスクードは1996年末頃から最初のユーザーが何年か走らせている。2005年秋よりBLUEらすかるの名前で現在に至る。クルマの方もまさかこれほどこき使われるところに拾われるとは思いもしなかっただろう。
 2024年はまだ少し残っているが、大乗りに関してはこれで走りおさめとする。今年はおそらくあと500キロ程度の伸びだろう。
 後日報じられたが、この日前スズキ会長・鈴木修さんが94歳で逝去された。95歳のご自身の誕生日まであとわずかのところだった。仏教的には享年は数え年とするので、もう少しで95歳だった。94から95という数字は、うちのエスクードにとってなんという因果だろう。この人はジムニーの生みの親でありアルトの生みの親だが、やはりその存在がエスクードをも世に送り出してくれた。
 ご冥福をお祈りいたします。