VOICES 
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 2019年初夏

 旅先の街で、一軒の喫茶店が目についた。
 「CUP OF JOE」という店名は、僕のアメリカ勤務時代によく耳にした言葉だ。一杯のコーヒーという意味がある。北米ではどこでも、それで通用した。週末の昼下がりだったけれど、窓際の席は空いており、駐車したエスクードは広いガラス窓を通してよく眺めることができた。
 妻と軽い昼食。コクのあるコーヒーも程よく辛さの利いたケサディーヤも、とても美味しい。遠出をして最初に立ち寄った場所で、こんな幸運を見つける。
 店内にはニューヨークの街を撮影したパネルが何枚も飾ってある。その壁伝いに視線をずらしていくと、厨房とカウンター席の頭上の壁に書かれた沢山の品書きの隅っこに「持ち帰りOK」という表記があった。
 会計の際、妻がテイクアウトオーダーして、よく冷えたカップを受け取りながらエスクードへ戻る。ここまで400キロを走って、うちと同型のモデルには、もう1台も出会わない。


 「海を見に行こうよ」
 リクエストに応え、街を離れ、ここかなとあたりをつけた狭い集落の道へ入り込む。集落を抜けると急傾斜のコンクリートの坂道の向こうに、深緑に輝く海と、真一文字の水平線が待っていた。坂道を降りると、堤防上の陸側でもふかふかの砂地が続く。トルクを奪われ久しぶりに四駆に切り替え、4Hの2速ホールドで堤防沿いに進む。
 まだ海開き前の浜辺は閑散としていた。道らしいものの終わりにちょっとした広場があった。外へ出ると思ったより深い砂だ。
 妻はエンジンフードをぽんと叩きながら、言った。
 「やるじゃない、うちのエスクード」
 1年前、エスクードは誕生30周年を迎え、有志で記念イベントを開いた。その直後に車検満了するうちのエスクードは、オイルシールの劣化やラジエター破損、各部の老朽化によって、乗り続けることを断念しており、記念イベントの席でそのことを仲間たちに報告したのだ。
 妻に言わせると、帰り道の僕は、この世の終わりのようなひどい面持ちだったらしい。彼女はそんな僕を見るに見かねたのだろう、何度も話し合って退役させることを覚悟したつもりだった僕に「仕方ないわね」と、車検を通しエンジンを直す提案をしてくれたのである。
 決して簡単な修理ではなかったし、古くなった車を維持するリスクも小さくはない。なにしろ初代最後の97年式で、33万キロを走った。それでもあのとき、彼女の一言が先へ進む道を切り開いてくれた。
 午後の海原は静かな波を打ち寄せている。我が家のエスクードは、深海の紺色を纏ったヘリーハンセン・リミテッド。ノルウェーのマリンスポーツブランドがコーディネートした特別限定車だ。ボードもダイバーツールも積んでいないけれど、海辺こそが最も似合う。
 妻はサンダルを脱いで砂浜へ降りていく。
 僕はその背中を見送りながら、夏の始まりを感じていた。


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