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2005年早春 トロントはカナダ・オンタリオ州の州都であり、近代は移民による多国籍の文化がモザイクのように広がっている。その起源は紀元前の先住民にまで遡るというが、「人が集まる場所」「水の中に木が立っている場所」の言葉が街の名の由来だそうだ。 オンタリオ湖に向かって緩やかに坂を下っていく街は碁盤の目のように整備され、カナダ最大の都市に成長している。もともとは6つの町だったけれど、数年前に合併が行われた。 40年ほど前に立てられたというCNタワーも、氷河が削り取ったというオンタリオ湖そのものも、カナダという国土の巨大さを標榜する。海を見に行くとしよう、モントリオールを素通りしてケベックシティーまで500マイルを走り続けても、そこから眺められる水面は「まだハドソン川」。ハドソン湾に面した町までは、さらに380マイルを移動しなくてはならない。 むしろ、国境を越えてニューヨークへ出た方が、500マイルを切るかもしれない。 学生の頃にこの街を訪ねたとき・・・そう、僕は両親がカナダ赴任した折、単身日本に残ったのだけれど、高校や大学の夏休みなどを利用して何度かこっちに来ている。その頃父はこんなことを言っていた。 「だから北米の人々は、まあ全部が全部じゃないけど、シボレーサバーバンを好んで乗り回しているよ。ここじゃアクセルを踏んだら前へ出る。ハンドルを切った方に曲がる。ブレーキを踏みつけたら止まる。その性能ががっちりとしていればいい。真冬はその限りじゃないが、ビッグトルクで家族や仲間を乗せて何百マイル走っても平気なビークルが信用される」 父は今回も空港まで迎えに出てくれた。 両親はもう10年近くこの街に住んでいる。が、今回の僕の長期出張と入れ替わりで帰国が決まったという。北米自由貿易協定がこの国では経済的には効果をもたらし、父の在籍する会社もアメリカとの取引では好況らしい。就職氷河期のさなかに社会人になった僕には、この国ではバブル景気がはじけることなどないのかと勘違いしそうになる。実際にはカナダの失業率は日本よりもずっと高い。 トロント勤務になってから、父はグランドビターラという4WDを愛用している。日本で言う、スズキエスクードの二代目モデルだ。GMと提携関係にあるスズキが北米マーケットをねらって、それまでのスクエアなボディをGMテイストに丸めた結果、日本では苦戦している。 GMでもトラッカーという名前で北米展開しているが、スタイルはともかくオフロード性能を見切ってハンドリングやサスペンションを改良した二代目は、まさしくそこで不評を買っているらしい。 「私はそうは思わん。荒れ地を走るだけが車の仕事じゃないからな。それよりもデトロイトまで快適に走って、快適に帰ってこられる方がずっと重要だ。こいつはそれができるね。2.5リッターを積んで、ようやく大陸を走れる車に仲間入りした」 「近々モデルチェンジするそうだよ? プラットホームから一新して車体も一回り大きくするらしい」 「CAMIの友達に聞いたよ。モノコックになっちゃうんだろ。補強材は入れるようだが、たぶんこっちじゃ売れない。V8でも奢るなら別だが、6気筒には分相応のレベルがある。窮屈さのないコンパクトビークルをなぜアピールしないのかね」 父は笑いながらアクセルを開ける。確かに爆発力はないけど、マルチシリンダーのエンジンは安定感のある加速で巡航速度に乗っていく。 「今度はどれくらい滞在するんだ?」 「製品の製造ラインを新しくしたから、現地工場が習熟して流れができるまでかな。研修も兼ねているし、年内はこっちにいるよ」 「それならこっちの足にこれを使うといい。我々はもう遠出しないし、必要なら事務所のクルマを借りてくる。帰ってくるときには処分してくれ」 それを僕にやってほしいということなのだ。父は気に入ったものを手放したがらない。このグランドビターラには割と高い評価を与えていたようだから、持ち帰れないのが心残りのようだ。なぜなら日本の自宅にはそれこそ20年来乗り続けて、カナダ赴任中も僕に管理を委ねていたセダンがあるから。 「1年程度ならまあ何事もないだろう。お隣さんの住宅バブルがどうも気になる。金利が上がりでもしたらまずいことが起きるよ。貸し付けというより押し付けだが、借りる方も度を過ぎている」 「どういうこと?」 「うまい話が来ても、もう家は買うなってことさ。アメリカで金融破たんでも始まったら日本のバブル崩壊の比じゃないぞ」 到着早々、ぞっとしない話を聞いた。 カナダは裕福な国だと思う。自動車産業や航空機産業の盛んなオンタリオ州やケベック州のGDPはアメリカ並みだ。歴史の話でしか知らないけれど、第二次世界大戦の勢いに乗ってきた北米の製造業は戦後大きく減少したという。これは60年代に入ってさらなる空洞化を各国で招いたものの、日本の高度経済成長とカナダではそれが例外であった。 「私がこっちへ来た頃、経済的混乱は回復傾向になっていた。カナダドルの価値も上がり始めているしね。だが良いことはそう長くは続かない。そう思っておくことも大事な目利きだよ」 「そうか、輸出入の大半がアメリカ相手では、あっちがひっくり返ったりするとこの国もただでは済まないし、そのときこっちの製造業はどうなるんだろうね」 「まあ愉快な想像にはならないだろうが、例えばな、GMが潰れちまうくらいのイメージは働かせるものだよ」 「えっ・・・いやいやいや・・・さすがにそれは」 「クライスラーもな」 ひどい冗談だと思った。 5年後にはバンクーバーで冬季オリンピックが開催される。それについては招致合戦にトロントは破れているのだが、カナダ、少なくとも五大湖周辺の好況はずっと続いてほしい。 「ところで、日本に一風変わったビターラ・・・いやエスクードユーザーがいるんだよ。先代のV6で、これは2リッターのショートボディなんだが、去年の秋に走行距離で地球から月まで走りぬいた」 「へえ・・・何年かかったんだろう?」 「確か95年式だったかな。個人サイトがあるから見てみるといい。もっともエンジニアじゃないからメカニズムのことはあまり書かれていないけどね」 そういう話題の方が楽しい。 それにしても月までとはすごい。いったいどれほどの燃料を消費して、何セットのタイヤをすり減りしたのだろう。月までの距離というと、ざっと238000マイル。ポンティアックまでの一千倍の距離になる。 どうなんだ? トロントから毎日通勤するような酔狂な現地人・・・いないとは言い切れないけど、この街の交通事情は、交通機関を使い分けないと不合理だ。 それを10年近くかけてやったというのだ。酔狂だけど、伊達ではないという見方にはなる。 スズキエスクードに、そんなスタミナがあるのか。 にわかには信じられなかった。 だけど父のその何気ない話題から、僕とエスクードの暮らしは始まっていく。 |
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※ 本稿は半分以上フィクションです。 また、「黄昏迄・・・」「そして渚へ・・・」はスーパースージー107号、113号に掲載されたものの再掲です。 |
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