VOICES 
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片岡 祐司 (かたおか ゆうじ)

名古屋芸術大学 理事
芸術学部教授、大学院教授
日本カーデザイン大賞選考委員
元スズキ潟fザイン部スタジオ統括担当

 カーデザイナーとしてスズキに25年勤務。エクステリアデザインを中心に生産車からショーモデル、先行デザインなどを担当、チーフデザイナー、企画管理などの業務を経て、スズキ全スタジオを統括管理。
 主な作品はアルト、アルトワークス2〜5代目、MRワゴン、ラパン、初代エスクード、ジムニー、カプチーノ、スイフトなど。ほかに企業ブランドの構築や電動車いすなどのユニバーサルデザイン商品なども担当し、マーケティングから生産まで幅広くかかわる。
 2005年から名古屋芸術大学勤務、インダストリアルデザインコースを指導。2016年カーデザインコースを立ち上げた。図書館長、副学長を経て現在は常任理事を兼務。
初期の『Space Car』イメージスケッチ
発表時に再現した広報用スケッチ

初期のスケッチ
オフロード感の強いもの


■『Space Car』誕生


 エスクード 開発がスタートしたのは 1984年。まったくの新機種ということでプロジェクト発足からは発売まで5年ほどかかっています。当初はデザインと商品企画を中心にスタートし徐々にメンバーが増えていきました。
 デザイナーは私を筆頭に、さらに若い新人が2名ほど参加したと思います。企画も何もない状態からのスタートで、唯一与えられたテーマは『次世代のジムニー』でした。
 当時ジムニー1000のヒットによりその後継車の可能性の模索、もう一つ国際基準での安全性能の向上が背景にあり、その回答として新機種を考えたもので、これ以外の企画は何もなく、スペックも決まっていませんでした。設計や市場にとらわれず自由に発想、まったく0からの仕事でした。

 最初のコンセプト段階はプロジェクトでKJ法などを活用したブレーンストーミングが中心で、特にデザイナーの発想力に多くを期待され、役割が大きいものでした。その中で私が提案したコンセプトが『Space Car』。次元を超えて宇宙を駆け巡る、次世代の月面探査車をイメージしたもので、メンバーの支持も得られ、これをイメージとしてスケッチを描き始めました。
 最初のスケッチはもちろん手元にもありませんが、発表時に広報用に再現されたスケッチは残っていました。
 月面を駆け回る大径タイヤの未来型月面車でした。これを進めるうちに。もう一つのキーワード『キュート』という言葉も決まってきました。スズキの車はコンパクトで小さいけれども魅力的、このイメージを表現した言葉で最終的にはこの『キュート』という言葉がキーワードとして残っていきました。
 これらのイメージをもとにスケッチを展開、最初からオフロードテイストを排除した、乗用車イメージの強い、足回りだけを力強く表現したものが受け入れられ、ブリスターフェンダーも最初から取り入れて表現しました。
 トラディショナルな案もありましたが早くからモデル化案が絞られ、対抗案もなく、これを軸にモデル化まで一気に進みました。



■修正できなかった木型モデル

 新車の場合、通常カーデザインの現場ではスケールモデルを5〜10台、フルサイズモデルも2,3台を製作し、これらを何度も何度も練り直し、修正、あるいは作り直して最良のものを選びデザインを決定します。
 エスクードはコンバーチブルモデルからスタートしましたが、なんとスケールモデルも制作せず、いきなり1/1モデルを製作。その対抗案もなく1台のみしか作られませんでした。
 当時やっと実用レベルに達したCADを駆使して我々デザイナーが自ら図面化し、この図面通りにモデル化されました。
 モデルは今のようにクレイモデルではなく、昔ながらの木型を使った内外一体モデルで、これに一部クレイを使用してブリスターフェンダーなどの表現をしました。
 木型モデルは、クレイモデルに比べて仕上がりは良いのですが、基本的にデザインの修正や検討がやりにくく、骨格の修正などはほとんど不可能なモデルで、クレイで作ったブリスターフェンダーの面以外はほぼ修正もなくスケッチの原案通り製作されました。
 これが、デザイン部、技術本部、営業、生産技術、役員さらに社長審査までいずれも1回きりのプレゼンテーションであっという間に通過して生産まで決定しました。
 その時には実感がなかったのですが、後になって考えてみるとこれほどスムーズに各プレゼンテーションを通過した機種はありません。

初期のスケッチバリエーション

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