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方向性が決まったころのスケッチ
乗用車テイスト+ブリスター


ハードトップの提案

■奇跡か暴走か?

 当時私はまだ配属4年目、駆け出しでカーデザイナーとしてはまだまだ半人前でした。
 私の入社時は4輪のデザイナーはわずかに10人ほど、今の基準で考えればスズキくらいの組織なら100人くらいはスタッフがいて当たり前ですが、スズキはオイルショックの影響で長く採用が途絶えていました。
 これに加えGMとの提携で数少ないデザイナーのほとんどがGMのプロジェクトに回り、極度の人手不足。そのため私にこの仕事が任されました。
 それがあまりにもあっさりとデザインを決めることができたのですから奇跡としか言いようのない幸運な仕事でした。
 人はどうしても年齢とともに常識に縛られ安定思考になりがちです。私の場合、異例の若さでデザインを担当、カーデザインの常識すら形成される前に担当した仕事で。これがエスクードという車の性格にうまくマッチングしたのかもしれません。


■SUVの先駆者

 開発当時、オフロード車はクロカンと呼ばれる特にオフロードを走ることに特化した車が主流で、jeepを起源とするその性能をスタイリングに反映させることが重要なデザイン要素でした。
 タイヤは大きくゴム部がしっかり厚く、トレッドはキャラメルをならべたように凸凹、これに合わせてボディーも力強くイカツイデザインが当り前、当時はこれに乗るのが憧れで、ステイタスでもあり、これをさらに大きなタイヤやリフトアップ、ガードバーを全体にまとうのがトレンディーでした。
 しかし、これは時として攻撃的で破壊的なイメージも併せ持っていました。
 エスクードはこれらを全否定、足回りのみオフロード車のセオリーを守りましたが、ボディーはまったく違う概念でデザインしました。
 基本は乗用車で品格を持ち、空力も意識、さらにはブリスターフェンダーなどスポーツカー要素まで取り入れ、上記のクロカンとは180度逆のコンセプトとデザインを組み合わせました。
 今でいうと、りんごとパイナップルをペンで刺したようなデザインだったと思います。
 そんななか時代も少しずつ変化し、環境問題が社会問題化、オフロードカーの自然破壊が問題視されるようになり、これも追い風になりました。
 エスクードが切り込んだ当時のキャッチコピーでいう『都市型4WD』のちにこの分野は多くの追随車が登場しました。代表的なのはTOYOTA RAV4、FFシャーシがベースでしたがスペックもコンセプトもパッケージングまでもが近いものでした。
 しかしながらこれが発売されたのはエスクードに遅れること4年、トヨタも予想すらしていなかったジャンルだったのでしょう。4年という時間は当時、新車を立ち上げる最短の時間でした。
 他にもホンダCRVなど同じジャンルの車が増え、次第にいまのSUVというジャンルを形成していきました。これらの車によって結果的にエスクードの先進性、正当性が証明され、このジャンルのパイオニアであったこと、SUVというジャンルの礎になったことが明確になりました。これは私にとっての大きな誇りであり自信にもつながっています。

ハードトップの提案
最終案に移行したスケッチ

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