VOICES 
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最終案に移行したスケッチ
エスクード二代目のために筆者が
最初に描いたイメージスケッチ

■エスクードと人

・戸田昌男社長のこと

 このデザインを高く評価していただいた『人』の中で特に心に残っているのが戸田昌男元社長です。エスクードを開発していたころから、よくデザイン室に立ち寄り、いつの間にか私の後ろにいていつも「おい!」と声をかけられました。
 最初のころはまさか社長(当時は取締役だったと思いますが)だとは思わずに、同期の友人かと思い込んで「ナニ?」と返事をして、振り向くと社長なので何度も驚かされてしました。
 これにもいつの間にか慣れて、いろいろと話をさせていただくようになりましたが、だいたい

 『あれを見せ!』

と言われ、開発中のスケッチやモデルを見ていただき説明するというパターンでした。そんな中で、いつも口癖のように言われていたのは

 『お前はデザインだけやっとりゃええ!』
 『自分が売れると思うもんをやれ』 でした。

 この社長には、エスクードがGマークなど多くの賞を獲得した際に社長賞を手渡しでいただきました。社長賞はこれも含め計6件いただくことができました。
 私自身、他にも多くの賞は獲得したのですが、戸田社長からいただいた社長賞はローカルなものかもしれませんが自分にとって特に思い入れがあり大事な財産になっています。
 戸田社長にはこの後もずいぶんと支えになっていただき、イタリアで車を作りたいだの、横浜にオフィスを作りたいだのずいぶんとわがままな企画を提出したのですがいずれも印をついて戻していただきました。
 戸田社長に見ていただいた最後の仕事は2005年の発売のスイフト、わがままを言って作っていただいた横浜のスタジオでデザイナーから提案したプロジェクトでしたがなかなか報われず、時間のかかった機種です。
 これもやはり最後に

 『お前が売れると思うデザインを思い切って作れ!』

と言われ、当時は重要な基準だった共通化も無視、枠を外れたスペックでデザインをまとめました。それでも結果はお蔵入りになったのですが、その後復活し2005年に発売され思い出深い車になりました。

 デザインというのはアートの分野に属する仕事で、デザイナーの多くは美術大学出身者です。
 マーケティングや技術的要素も重要ですが、感性をもって発想し判断をすることも重要です。
 これを理解してもらうのはとても難しい仕事ですが、戸田社長へのプレゼンテーションはデザイナーと会話を交わすかのような説明でいつも理解いただき、判断もとても感覚的でしたが的確、感心させられることが多くありました。
 デザイナーにとってはとても強い味方だったと思います。
 戸田社長が、なぜ一担当者に過ぎない私のところに気楽に来ていただいたのかははっきりわかりませんが、本当に私の話をよく聞いていただきました。
 そして戸田社長が退任されたときになんとなく自分の役割が終わったような空白感を感じました。
 その後私はスズキから大学教員に転職、教育の場からスズキの支援をさせていただきましたが、そこで戸田社長の訃報を聞くことになってしまいました。


・カーデザイナー界の巨人 チャック・ジョーダン

 チャック・ジョーダンといえば当時世界一の自動車会社GMの副社長で、自動車業界の重鎮、カーデザイン界の巨人というのが私のイメージで、日本の片隅のデザイナーからすれば雲の上の人でした。
 そのチャック・ジョーダンもエスクードを高く評価した一人でした。
 当時スズキはGMと提携したばかりで軽自動車のスズキがなんと世界No1のGMと小型車を開発、発売しようとしていた時期でした。このプロジェクトのためスズキの数少ないデザイナーほとんどがこれに参加したため、エスクードの仕事は新人の私のところに転がり込んできたのでした。

 その小型車開発のためスズキを訪れていたチャック・ジョーダンに上層部がエスクードのモデルを紹介したところ、これをたいそう気に入り一気にアメリカのGMブランドでの発売まで話が進んでしまいました。
 そのころ私はこの話については蚊帳の外、GMでの発売が決まったことは後で聞かされました。
 GMもデザインについて一部ブリスターフェンダーのラインを少し修正依頼してきた程度でほとんど要望はなくそのまま受け入れられました。
 おかげでスズキは大きな商売のチャンスを得、私のところにはGM専用のグリルデザインなどの仕事が来ました。
 その後知ったのですが、このチャック・ジョーダン、GMデザインのすべてのスタジオのデザインを日々細かくチェックし、それぞれのデザインを変更したり、修正したり、自分の納得行くまで徹底的に仕上げるデザイナーでした。
 そのチャック・ジョーダンがエスクードのデザインを修正なしに認めてくれたのも奇跡的な事件だったと思います。

 チャック・ジョーダンとのかかわりもこれで終わりかと思ったのですが、こののち今度はスズキのデザイン部長がGMに行く際になぜか私も同行するように言われ、どうせかばん持ちだろうと観光旅行気分でついていったのです。
 ところがGMに着くと、部長ともどもかの有名なサンダーバードの基地のようなGMのテックセンターにあるチャック・ジョーダン副社長の巨大なオフィスに通され、ひとしきり話か終わったところでチャック・ジョーダンが私に歩み寄り

 『お前はこのままここに残って仕事をすべきデザイナーだ!』
 『ここで仕事をしなさい!』 と命令を下したのでした。

 世界の巨人にこう言われてしまっては逃げようがありません。私はこののち1年余りGMのデザインスタジオで缶詰、その後も何度となくデトロイトへ往復することになってしまいました。
 チャック・ジョーダンはエスクードをとても高く評価しており、そのデザイナーも高く評価したのだとは思います。
 当時海外で仕事をすることなどこれっぽっちも考えていなかった身にしては青天の霹靂で、英語もほとんど勉強していなかった私には英語アレルギーを重篤化させるに十分な事件でした。当時、スズキではGMとの付き合いをきっかけに社内的にも英語の勉強を推奨していました。
 ですが、前述の戸田社長は

 『お前はデザインだけやっとりゃいい、英語なんか勉強せんでもええ、必要なら通訳をつけてやる』 と言っていたのに・・・

 ちなみに、このGM訪問、私はかばん持ちではなくて手土産であったことに気づいたのはずいぶん経ってから、この献上品作戦の黒幕が誰なのかはいまだ不明です。


・ジムニーのデザイナー小栗克彦氏

 エスクードのデザインを進めるうえでとても気になったひとつの言葉があります。
 それは、SJ30シリーズのデザイナーだった小栗克彦氏の言葉で、

 『スズキはレンジローバーを目指すべき』

 私は一緒に仕事をしたことはなかったのですが、SJ410にずいぶん長く乗っていたこともあり、小栗さんとはよくジムニー談義をしたものです。
 その中で小栗氏のデザイン思想をよく聞きエスクードのデザインについても参考にしました。
 まだまだちっぽけなメーカーだったスズキにあって、レンジローバーとはびっくりしたものですが、その後ずいぶん先のことを読んでいたのだなあと思うと同時に、その考えを早くに現実化していればスズキのポジションもずいぶん違ったものになったと思います。
 小栗さんもスズキを途中退社し大学の教員になられましたが、残念ながらその後しばらくして急逝されてしまいました。

広報用イメージスケッチ

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