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2代目広報用イメージスケッチ

コンステレーション
竜洋で筆者が撮影 1989年



■エスクード・トリビア

@ボンネット横の排気スリット

 今でもエスクードをはじめスズキのSUVにはボンネットフードの後ろ横にはエア抜きのスリットデザインが入っています。エスクードがその起源なのですが、それ以前のジムニーSJ,LJのころからサイドには熱抜きの穴がありました。
 エスクードもその要素をスタイリッシュに取り入れた。というのが公の説明です。
 ですが本当はそうではありませんでした。
 エスクードのボンネットはカバの口のように開口ラインを横まで回し、サイドまで大きく回り込んだデザインです。ところがその横の面が広すぎて下側にはショックラインと言われるプレスで押す際にできる大きな傷が入ってしまいました。
 これで困ってしまい、ショックラインの入る部分を切り取って穴にして、それをたいして必要もないエアアウトレット風に仕上げたものでした。
 もう一つ、このアウトレット近辺をワックスで掃除する際、穴に手を入れ雑巾で前に手を滑らせると少しずつ狭くなるため最後に指が挟まって痛い思いをするという苦情のおまけつきでした。
 このデザインが今のスズキSUVのブランド表現の一つになっているのは少々申し訳ない気がします。

A特許を取ったドアミラー

 エスクードのドアミラーはベルトラインの前端、ドアガラスを格納しても邪魔にならない部分を1段落とし、できるだけ低い位置に取り付けました。
 これは基本がオフロードカーであることから、左右の下方視界を確保するための工夫でした。また合わせてこれをデザインの要素として、ボンネットフードとの連続間を持たせることで特徴づけました。
 これを見た賢いエンジニアが

 『片岡さんこれ特許取れますよ!』 と教えてくれました。

 私はそんな面倒くさい手続きは苦手だったのでそのエンジニアに手続きをお願いし、共同で特許を申請したのですがこれがのちに大きな特許になったのです。
 考えてみればデザイナーならばこのようなデザインは容易に思いつくアイデアですが、特許を取ってしまえば手出しはできず、他社のデザイナーにとって使えない手になってしまいました。
 この特許で一度表彰を受けたのですが、さらに数年たってどこかの会社がこの特許に引っかかるデザインを発売し、スズキに大きな利益をもたらしたようで改めて賞金付きで表彰されました。2度おいしいタナボタでした。

B最初のレジントップはガンディーニ作

 エスクードコンバーチブルにはいくつかのレジントップが用意されました。
 日本でよく知られているのは2輪の刀のデザイナー、ハンス・ムートデザインのレジントップ。
 ですが最初に作られたのはイタリア製、そのデザイナーはマルチェロ・ガンディーでした。
 ガンディーニと言えばランチア・ストラトスやランボルギーニ・カウンタックなど数々の名車を手掛けた巨匠。当時ヨーロッパ向けの用品はイタリアで製作されており、スズキイタリアがそれにかかわっていました。
 そのスズキイタリアはイタリアの名門一族による経営で、用品開発の会社もその系列でした。そんな関係からマルチェロ・ガンディーニに仕事を委託することができたのでしょう。
 このことは今に至るまでほとんど知られていないトリビア一の目玉情報です。

C2代目エスクードになり損ねたコンステレーション(Constellation)

 1989年のモータショーを担当した私は2台のショーモデルをデザインしました。
 1台が後のカプチーノ『P89』、そしてもう1台が『Constellation』(写真)です。
 結果、カプチーノは大好評で一気に生産化が決まったのですが、コンステレーションはそれほど評価もなく、そのまま記憶から消えていった車です。

 実はこの車、次世代のエスクードを予感させるつもりで開発した実験的デザインで、後に発売される5ドアのノマドのイメージモデル的役割も持たせていました。
 正にSUVのデザインで、今でこそ各社こんな車をラインナップに持っており、予想は的中していたと思うのですが、1989年当時はごく一部にしか理解されず、あまりにも早すぎた!というのが正直なところ。
 後にハリアーが発売されたとき悔しさを感じたのも事実です。次の来るべきデザインを探るのもモーターショーモデルの役割で、目的は果たしたのですが、ずいぶん落胆した思い出があります。

 ただ、その時にショー会場のスタッフから聞いた話では、イタリアの巨匠ジウジアーロがずいぶんと長い時間この車を見入っていたということです。何を思って見ていたのでしょうか。


■終わりに

 エスクードは私がカーデザイナーとして、またこの業界で長く活躍するきっかけとなった車です。
 このおかげで、この後ずいぶんとスムーズに仕事をすることができ、同時にとても多くのデザインを手掛けることができました。
 最近ではカーデザイナーの数も随分と増えており、一生を通して1台のデザインを勝ち取ることすら難しくなってきています。
 そんななか数十台にも及ぶデザインを担当し、多くの賞もいただき、そのおかげで今があると思っています。
 初代エスクードはカナダやスペインでも生産されいくつかのブランドで販売、トータルでは200万台くらい販売されたように覚えています。
 このエスクードが多くのスタッフやお客様に支えられ、移り変わりの早い世界で30年も受け入れられ続けていることは実に喜ばしく思います。今後のますますの発展をお祈りします。

コンステレーションとカプチーノ 筆者が竜洋で撮影 1989年

初代モデル1/5ファイナルレンダリング
これをそのまま図面化し1/1モデルに移行した

 ※スケッチ、スチルは片岡教授からの提供
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